外国人介護職介護職の導入の注意点 その2

画像の説明

介護人材の不足が叫ばれてからもう何年になるだろう。ジュラ紀とか白亜紀とか、そんな前からずっと言われ続けているような気がする。現場で働いている者からすれば、月に10回夜勤に入ることに異常を感じなくなったりしている。高地トレーニングをしているのと同じで、常に酸素の薄いところにいるから、それに慣れてしまっているのだ。でも一歩引いて(今の僕の立場ならそれは可能である)、客観的に見ればかなりヤバイ状況なのだ。

誤解がないように指摘しておくと、介護職の数自体は増えている。少子化社会でこういう業界は珍しい。しかし、介護職の増加数が要介護高齢者(正確には介護保険サービスの利用者)の数の増加に追いつかない。

少子化社会で他産業も人材の獲得に必死である。ものすごく当たり前のことだけれど、「他の仕事を蹴ってでも、介護の仕事に魅力を感じる」レベルにしないと、今の人材不足は解消されない。
でも日本人には難しい。と考えた国は外国人に頼ることにした。

技能実習生制度に介護が追加されたのは記憶に新しいところだと思う。今年(平成30年6月)からすでに中国人の受け入れが始まっている。今後の外国人介護職の姿はどうなっていくのか。また多様な介護人材のあり方は、介護現場にどのような影響を与えるのだろうか。

外国人介護職はちゃんと戦力になっている

今から考えると、本格的な外国人介護職導入のために、試験的に行われたとしか思えない「経済連携協定(EPA)にもとづく介護職(フィリピン、インドネシア、ベトナム人)」の導入。現状の彼らはどうなっているのだろうか?そこから見ていきたい。

EPAにもとづく介護福祉士候補者の試験もすでに30回を迎えた。平成30年3月の厚生労働省の発表によると、第30回の試験での合格者は213名(合格率は50.7%)。合格者の総数は2000人を超えている。

今まで、いくつかの施設でベトナム人かフィリピン人の介護職を見かけた。上記の試験に合格したか、勉強中の人たちだろう。インドネシアの人はみかけた記憶がない(僕に見分ける能力が不足していたからかもしれない)。インドネシアの人も数としてはけっこう日本に入ってきているはずなのだけれど。

今のところ、EPAにもとづく介護福祉士はフィリピン、ベトナム、インドネシアの3国だけだ。彼(女)らは日本人と同じ介護福祉試験を受けて、合格するのだから優秀な人々である。もともと自国で看護師などの仕事をしていた人も多いらしい。
彼らの仕事の動きを見ていると、日本人介護職となんら変わらないように見える。中には日本人のほうが認知症の入居者に対して、雑な対応をしている人がいるくらいだ。僕がみた中で外国人介護職の人たちは総じて利用者に親切に接していた。

このEPAにもとづく外国人介護福祉士の卵たちだが、統計をみるとその年ごとに受け入れ来日数がずいぶん違う。2桁来日する年もあれば、翌年には3桁など、数がまったく安定していない。それは何故なのか。第30回の試験受験者、および合格者は多かったが、それは近年の傾向から考えると、むしろ特別なことだったのではないかとさえ思える。今回は入国して実務経験を積んだベトナム人が初めて試験に加わった。彼らの合格率は高く、合格者数全体の底上げをした。

第30回はそういう特殊な事情があったとして、前回の第29回の受験者は209人、合格者は104人である。つまり毎年100から200人程度の介護福祉士の合格者が出ている。逆に言えばたったそれだけである。
数十万人単位で介護職を増やさないといけないのに、全体の人材不足に影響を与えるような数にはならない。試験を受けるためには3年間実務経験を積まないといけないので、潜在的な外国人介護職は多いわけだが、それでも全体の割合からすればわずかである。EPAでは焼け石に水なのだ。

国内の介護職労働者との割合も考慮されていて(そんな考慮は必要ないと思うのだが)、受入数は毎年の定数が決まっている。だから右肩上がりでどんどん増えていくようなシステムになっていない。

まあもともとEPA介護福祉士は、経済活動に関する二国間の連携強化が目的で、介護分野の人材不足への取り組みとして行うものではないとされている。当然といえば当然である。

でも、現場の人たちはそんな難しいことは考えていない。今日の業務を乗り切る戦力として彼らの力を求めているのだ。そして外国人介護職を取り入れている現場では、今のところ正常に機能していると思う。彼(女)らは確かな戦力になっている。

身体介助より生活援助のほうが難しい

これから数十万人単位で人材不足が続く介護の現場を、日本人だけでまわしていくことはほぼ不可能だろう。だから国は外国人を労働力として導入することにした。非常に安易な発想である。EPAにしろ、技能実習生制度にしろ、課題は山積みだと僕は思う。

外国人介護職といっても、いわゆる白人や黒人たちではなく、東南アジア周辺の人々である。その周辺の若いアジア人は高齢者に対して優しく、親切な人が多いらしいし、何より経済先進国を基準にした高い賃金を求めていない。それならコスト面からみても実用面かみても、外国人介護職をもっと増やしていけばよいではないか、という意見を持つ人もいる。

でも介護サービスとは、個々の介護技術を提供することにとどまるものではない。もっと広く、生活全体を支えるものだ。要介護者にとって介護を受けることは、つまり生活そのものなのだ。そして生活というものは、それぞれの固有の文化の上に成り立っている。ここでいう文化とは生活様式のことで、国によっても違うし、細かくみていけば家ごとに文化が異なるとも言える。
だから訪問介護では、身体介助よりも生活援助のサービスのほうが難しいと言われる。掃除一つとってみても、要求される基準が家ごとにぜんぜん違うからだ。

身体介助も文化によって異なる。例えば福祉先進国と言われる北欧の国々(例えばフィンランドとか)では、入浴介護は日本で言うシャワー浴である。つまり浴槽につかる(移乗させる)介助が存在しない。入浴に浴槽を使わない生活(文化)だからだ。

介護が先か、生活が先か

でも絶対的に介護職の数が足りなくなれば、生活(文化)を守れ、なんてことも言えなくなるかもしれない。介護のために生活(文化)のほうを変更する必要が出てくるかもしれない。浴槽に入れる介助は重労働だから、要介護者の入浴はすべてシャワー浴のみで済まそうとか。

すごく極端な話、外国人介護職の割合が多くなればなるほど、そんな話が通りやすくなる気がする。別に偏見で言っているわけではない。今でも介護業務を最優先にしている施設なんていくらでもあるじゃないですか。昭和の中頃で時代が止まっているような特養なんていくらでもある(ほんとに自分の目を疑うような光景を目にする)。

外国人介護職が多くなって職員の意思の統一がはかれない、なんて逃げの口上を吐く輩も出てくるかもしれない。「だからまず個別的なケアより全体の業務を回すことを優先しよう」。そんなベクトルに流れないと誰に保証できるだろう?こういうのは僕の考え過ぎであってほしいけれども。

何にしろ、生活よりも介護業務をまわすことを優先するのは本末転倒な話だ。介護が先か、生活が先か?と問われる未来は近い気がする。なんか鶏が先か、卵が先かみたいな問答になるけれど。

長くなったので、次回に続きます。

コメント


認証コード5653

コメントは管理者の承認後に表示されます。