正義感ぶったエゴイスト

事務所の電話が鳴った。誰かがとり、僕あてだと言って転送した。相手は知らない人だった。
「大和田と言います」と電話の向こうで誰かが名乗った。50〜60歳くらいの男性の声だった。

彼は独立型事務所のケアマネージャーをしていて、宗教団体の代表者の知り合いというツテで、前田さんのケアマネを頼まれたという。前田さんもケアマネの変更は了承しているという。そこでいちおう今の担当ケアマネである僕に電話をかけてきたのだった。

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新しいケアマネージャー

「介護認定の区分変更をかけました」と大和田さんは続けた。「退院時期はまだ決まっていませんが、退院したら本人がそちらのデイサービスに引き続き通いたいと話しているそうです。かまわないでしょうか」

僕はデイの定員に空きがあればかまわないと思いますよ、と答えた。デイの利用についてはデイの相談員に確認することであって、僕に許可をとる意味はない。大和田氏だってそんなことは分かっている。ただお互いの間にある空白を満たしておくために、意味のないことをしゃべっているだけだ。満たしておく材料なんて何でもいい。というか意味のない言葉がいい。世間話とはそういうものだ。

それに加えて、彼は僕に対して何か遠慮するような喋り方をした。それが彼のクセなのか、裏に何かやましいものがあったからなのか、それは分からないけれど。

僕が彼に対して抱いた印象は、ずっと役所か福利厚生がしっかりした企業で働いてきた人、だった。そしてある程度年がいってから福祉の勉強をし、資格をとったクチだなと想像した。後で実際に会って、プロフィールを聞いたのだが、だいたい僕の想像通りだった。悪い人ではない。でも(失礼ながら)面白みはまったくない。毒にも薬にもならない。僕は疑問に思っていたことを聞いてみた。

「本人にはもうお会いになりました?」

「いや、まだです」

一度会ってから担当するか決めたほうが・・・と言いかけたが、やめた。たぶんもう僕の手の及ばないところでいろいろ事が進んでいるだろう。大和田氏の話では、要介護認定が出たら(確実に出る)彼が担当ケアマネになるという確認で終わった。

僕が担当できるのは要支援の人だけで、遅かれ早かれ次のケアマネを探す必要があった。だからそれに関しては別段こちらから文句があるはずもない。それに、既に前田さんも了承しているという。だから特に起こすべきアクションもない。ただ僕は前田さんの個人記録にその事実を残すだけである。

ー区分変更を行い、要介護認定が出た後は大和田氏が担当ケアマネとなる予定。

前田さんに成年後見人がつく

当時、僕は40人くらいの利用者を抱えていた。手のかかる人もいればかからない人もいたが、入院中の、つまり介護サービスの利用のない人にかまけているほど暇でもなかった。そうして前田さんのことが話題にあがらなくなってきた頃のことである。まるで狙いすましたかのように大田和氏が直接、事務所を尋ねてきた(そのときに彼のプロフィールを聞いたのだ)。

区分変更の結果、要介護4になった。病院に行って、本人と会い、契約も済ませてきた。退院は1週間後に決まった。と大和田氏は話を聞かせてくれた。当初のリハビリ計画の予定より3週間早く退院になった。つまり、当初想定したゴール(機能回復のレベル)まで行きつけなかったということだ。理由はだいたい想像できたが、僕は一応聞いてみた。

「本人のしゃべる時間が長すぎて、リハビリの時間がとれないそうなんです。それでけっきょく退院ですわ」

一応、室内の伝い歩きまで可能になったそうだが、屋外の移動には車椅子介助が必要だという。だいたい僕の予想通りだった。いや、予想よりも長く入院させてくれた、といったところか。あの人が毎日、まじめに機能訓練なんかするわけがないのだ。PTやOTにグダグダと管を巻いている姿が容易に想像できる。ボケもけっこう進んでいたし。

でもまるっきり想定内というわけでもなかった。なんと入院中に前田さんに成年後見人がついたというのだ。成年後見人?本人は後見人をつけることにあれだけ反対していた。誰が申請したんだろう?遠方にいる姉に申し立て人になるよう頼んだのだろうか。前田さんに子供はいない。姉以外に4親等内の親族が見つかるとも思えない。

大和田氏は後見の申し立て人までは教えてくれなかった。まあ普通はそうだ。僕もわざわざそこまでは聞かなかった。僕と前田さんとの間の契約はすでに切れている。成年後見の申し立て人を確認するのは業務を超えた行為だ。それに、と僕は思った。申立人なんか知ったところで、どうするというのだ?僕にはもう関係ないのだ。

ふたたび、前田久夫さん

そうして前田さんはふたたび僕たちの前に現れた。今度は車椅子になっていて、物忘れも出ていて、人から手を借りないと立つことも難しくなっていたが、それでも前田久夫という人の個性は死んでいなかった。僕を見つけると、前と同じようにしゃべりまくった。話す内容もほとんど変わっていなかった。ただ同じ内容の繰り返しが多くなり、本人も話の出口を見失うことが多くなっていたが。

僕が前田さんと顔を合わせるのは、彼がデイサービスに来ているときだけだったから、機会も時間も限られているはずだった。しかし、僕の姿をみると、必ずと言っていいほど僕を呼び、話を聞かせるのだ。しばらくすると、担当のケアマネージャーに対する文句を言い始めた。

「あのケアマネはだめですよ」と彼は言った。「まったくわかってない」

「でもしょうがないじゃないですか。前田さんの知り合いがあの人に頼んで、それを前田さんも了承したんでしょう」と僕は言った。

前のように言わせっぱなしにはさせない。僕も成長するのだ。僕にやらせてくれれば、いいケアマネをつけられたのに。身寄りのいない人の場合、よいケアマネに出会えるかで晩年がまったく変わるんですよ・・・。なんてことは、もちろん言わなかったが。

デイサービスには僕が担当している他の利用者もいた。彼らに用事があるときにデイのフロアに行くのだが、できるだけ前田さんにつかまらないように、顔を合わせないように足早に移動した。そこにいることが分かっていないふうに。

でも、僕が用事を終えて事務所の方に戻ろうすると、廊下に何気なくやつ、前田さんがたたずんでいるのだ。自分の姿を正面から見せれば、礼儀上声くらいはかけるだろうと予測し、待ち構えているのだ。そういう計算はできるのに、物忘れだけは進んでいく。

退院後の彼を見ていると、どんどん痩せていっていくのが分かった。それが何かしらの病気によるものなのか、介護サービスの提供が上手くいかないことが理由なのか、僕には知るよしもない。退院後は訪問介護も利用していたが、栄養はちゃんととれていたのだろうか。デイの食事はしっかりとっている。ヘルパーが用意する食事はだめなのかもしれない。偏食の強い人なのだ。

しかし、喫茶店のナポリタンは食べられたし、入院中の(おそらく)まずい食事だって食べていたはずだ。偏食とはいえ、食べられないわけがない。それでも彼の体重低下は見た目でわかるほど進んでいった。

彼の本当のニーズとはなんだったのか

前田さんの話の内容は他人に対する文句が多かったが、そのうち、どんどん東北の温泉地で静養する話に移っていった。最期の頃には終始その話ばかりになった。温泉地に入って身体を治したいというのだ。まるで東北の温泉地に万病に効く命の湯が湧いていて、そこにさえ入れば、すべてが丸く収まるかのような話し方をするのだ。東北の温泉街で日々温泉につかりながら、体を治すこと。それは長年に渡る彼の願望だった。

実は入院する前から、東北の温泉に旅行にいきませんかと前田さんに持ちかけていた。貯金をうまく使えば、可能だったはずだ。でも、彼のことだ。東北に行ったらいったで、ケチをつけるところを見つけ、100%満足することはなかっただろう。

それでも、一度くらいは自分の理想と考えているところに連れて行ってあげたかった。たとえそこに待つのが失望だと分かっていても。あちこち難くせをつけては「ここは違う、ここはもう少しなんだけどな、おしいな」とかなんとか言うのが彼なのだ。彼はつねに自分の理想、というか夢というか、そういったものを求めていた。

僕は、それこそが彼のニーズだったのかもしれないな、と今になって思う。夢を、理想を追い求め続けること。だから体が動くうちに、僕が担当ケアマネだったうちに、東北までの温泉旅行くらいなら実現させてあげたかった。
僕がついていくことだってできた。時間のやりくりなら何とでもなった。公休と有給を使えば問題ない。身体介助だってできる。それに、他に確実な方法もあった。近くに要介護者の旅行を専門にコーディネートしてくれる会社があったからだ。

旅行時にヘルパーを利用しようと思うと、介護保険がきかないのでかなりお金がかかる。しかし、その代わり旅慣れた専用の介助者はつくし、旅館も適当な所を見つけてくれる。僕が旅行のコーディネート&介助員としてついていくより、確実な旅行ができるはずだった。

でもいちおう僕は自分で新幹線の便も調べたし、業者に頼んで車椅子の手配も済ませていた。宿もバリアフリーのところを探していた。行程表も作っていた。本人が行こうと言ってくれれば、いつでも行ける準備はしていたのだ。でも彼の目的は旅行ではなかった。「東北に定住してそこの人たちと共生することがモットーなんです」と彼は言った。どちらにせよ、東北行きが実現することはなかったのだが。

正義感ぶったエゴイスト

ふと気づくと、前田さんが僕の視界から消えていた。そのことに気づいたのは、「ああそういえば最近デイで前田さんを見てないな」とふと思ったときだった。
2、3週間前にデイで彼を一度見かけたのが最期だった。デイが終わり、車椅子を職員に押してもらい車に乗り込む姿だ。デイの相談員に聞くと、体調不良を起こして入院したのだという。

その後のことは詳しくは知らない。知りたいと思ったが、たとえ知ったところで僕にできることなど何もなかった。さらにその数週間後に、前田さんが転院先の療養型病院で亡くなったと聞いた。死因までは知らされなかった。不思議なことに、そのことを誰に聞いたのかを覚えていない。亡くなったと聞いた時にどんな気持ちを抱いたかも覚えていない。不思議なのだけれど。

彼の遺産がどう使われたかも、もちろん知らない。前田さんの希望通りに、津波被害にあった東北のどこかの団体に寄付されていればいいな、と思うだけである。

僕が彼の唯一の理解者であり、そしてベストな支援者だった、というつもりはない。彼を担当したのは単なる巡り合わせで、奇妙と言えば奇妙な、普通と言えば普通の道を辿っただけのことだ。よくあるケースと言えなくもない。正義感ぶるつもりもない。ただ、自分ならもっとあの人のためにやれたんじゃないか、という小さな個人的エゴを持つだけだ。

でも、小さな個人的エゴから、我われ福祉職の支援動機が生まれてくるのも事実だ。余計なおせっかい、過剰な親切心、正義感ぶったエゴイスト。そういったある種の思い込みがなければ、どうしてあんな変な話を聞くことに何時間も耐えることができるだろう(笑)

僕が前田さんの担当になり、初めてのケアプランを作り、内容を読み上げてサインをもらおうとしたときのことだ。彼は書類の内容に不満があり、そのプランを突き返してきた。利用者自身にケアプランにケチをつけられたのは初めてだった。

彼は内容をしっかり読んで修正したいので、書類を預かりたいといった。そして数日後、赤ペンで修正したプランを僕のもとに持ってやってきた。僕はその修正内容を反映させて、新しいプランを作った。そしてやっと彼からサインをもらうことができた。

赤ペンが入ったプランはボツになったものだから、普通はシュレッダー行きである。でも僕は処分せずに彼の個人ファイルにそのままつっこんでおいた。なにせ初めて利用者から本格的な訂正を受けたケアプランである。後にも先にもそんなケアプランなんてないだろう。とても貴重なものだ。彼から修正を入れられたそのケアプランが今どこにあるかは・・・、語らないほうがいいんだろうな、たぶん。

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