イリーガルでアナーキーで、アブノーマルな

前田さんの転院先は、リハビリテーションの専門病院だった。リハビリに関しては地域でも有名な所で、僕が担当していた別の利用者は、実際に機能が大幅に向上して退院してきた。
リハビリの専門性については文句の付け所のない病院である。やっかい者扱いされての転院だから、どこにでもある療養型病院に転院させられるんじゃないかという、僕の懸念は必要なかった。前の病院の人には感謝したい。

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次のケアマネをどうする?

病院が手配した介護タクシーに僕と前田さんは乗り込んだ。そして話をした。

「前田さん、僕が手伝えるのはたぶんここまでになると思います」

「なぜ?」彼はいつものように鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした。そんな表情をよくするのだ。納得のいかないことを言われた子どもがよくする表情みたいだな、と僕はいつも思っていた。

「今の介護の状態だと要介護という認定になるから、僕は担当できなくなるんですよ。僕が担当できるのは要支援の人だけだから」

「あなたが担当をはずれたら、誰が僕の面倒をみてくれるんですか?」

「まあ入院中に次の担当者が決まると思います。でもケアマネ選びは僕に任せてくれば、きちんとした人を探しますから、そこらへんは心配しなくていいですよ」

百戦錬磨のケアマネ

そう、前田さんのような人にちゃんと対応してくれる百戦錬磨の頼れるケアマネを僕は知っていた。僕が働いていた地域包括支援センターに併設された居宅のケアマネたちである。

自分が働いていた会社だから良く言うわけではない。本当に実力があるケアマネたちだったのだ。加えて、うちの居宅は特定事業所加算をとっていた。この加算をとるためには、複数のケアマネを擁し、定期的に困難事例についてミーティングを開いて情報を共有することになっている。

前田さんは間違いなく困難事例としてミーティングに上る人だったし、複数のケアマネがいるから、相性問題で交代になっても、法人そのものを変える必要はない。そうすれば契約云々などといった煩わしさを経験させる必要がない。

僕と机を同じくして働いている人たちだから、前担当者の僕としても情報の連携が取りやすい。なにせ前田さんの家には電話もないのだ。こういうややこしい利用者の場合、連携のとりやすい事業所に振るに限る。それが利用者のメリットにもなる。

国は居宅介護支援事業所を選ぶのは本人の自由意志にまかせろと指導するが、それは利用者側に選ぶ能力が前提にあっての話だ。能力もないのに、選ぶもくそもないのだ。その建前を推し進めた末、よい結果を生まないことが時に起きる。

イリーガルでアナーキーで、アブノーマルな

タクシーはあっという間に病院についた。僕は受付まで先に行き、前田さんは運転手に車椅子を押してもらって院内に入った。受付で紹介状をわたし、入院の手続きを済ませた。受付の人が「しばらくお待ち下さい。いまソーシャルワーカーが来ますので」と言ってお辞儀をして去っていった。お辞儀が直線的で、あまり表情もなかったので、まるでからくり人形みたいだな、と思ったことを覚えている。

前田さんの転院先は普通の病院とは少し違っていた。天井は高くドーム型になっていて、病院特有ののっぺりとした空間性を殺していた。病院のロビーは円形になっており、しかも鏡張りで外から丸見えになっている。また建物の周りには直径40センチくらいの水がたまった堀があって、そこには大きく太った立派な鯉が何匹か泳いでいた。

1階のロビーには、前衛美術の作品のような、やけに個性的な形の椅子やテーブルが並んでいた。座面が丸くえぐり取られた真っ赤な1人用の椅子があった。座るとお尻がすっぽりと落ち込んで、はまりこむようにできている。一度座ったら、僕でも二度と立ち上がることができないだろう。なかなかスパルタなリハビリ病院のようだ。患者は退院時には、みなあの椅子から自力で立ち上がれるようになるのだろう。立ち上がれるようになるまで退院させてもらえないとか。まさか。

ロビーには足にギプスをまいた高校生くらいの女の子が、母親と一緒にいた。制服を来ていたから、学校の途中で怪我をして受診にきたのかもしれない。表情は硬く、目の色は雨をためた雲のようだった。
この少し非現実的な雰囲気を醸し出している空間に、その親子は違和感なくおさまっていた。まるで絵本になりそうである。怪我をした女の子とその母親が不思議な病院に迷い込んで、いろいろあったけれど、怪我を治して無事に家に帰り着きましたとさ、という感じのストーリー。全く同じ筋でないにしろ、どこかにありそうな話である。

ふと気になって僕は前田さんの顔をみた。いつもとまったく変わらない。この人はこの程度の環境の変化の違いなんて意に返さない。周りの変化よりも、自己の内面の変化のほうにより反応する人なのだ。僕は一気に現実に引き戻された。そうだ、ここはチョコレート工場じゃない。夢もクソもないただの現実なのだ。

しばらく待っていると、病院のソーシャルワーカーだという女性がやってきて、挨拶してくれた。僕より4,5歳くらい若い、20代の女性ソーシャルワーカーだった。名刺を渡す所作や、患者(前田さん)と会話する体の位置、口調、話の内容から、彼女のソーシャルワーカーとしての能力が想像できた。(おそらく福祉)大学を卒業してから、メディカルソーシャルワーカーになるために勉強を続け、またある程度の実務経験も積んできた。支障なく業務ができるだけの知識もスキルも身につけている。
でも、イリーガルでアナーキーで、アブノーマルな、つまりちょっと普通でない人々を支援するには、踏んできた場数が少なすぎる。僕は彼女を見てそんな印象を持った。

道先案内人の最期の仕事

病室に案内される間にリハビリの風景が見えた。作業療法士が患者とボール投げをしていたり、綱を使って何かしていたり、輪投げをしていた(少なくとも僕には輪投げ以外には見えなかった)。
訓練に使ういろいろな道具もあった。細い曲線の棒に玉が通っていて、それを動かす幼児用の玩具を大きくしたようなものが見えた。大人の幼稚園といった感じだったが、問題は大人の方はそれぞれに後遺症を抱えていて、遊戯(リハビリ)を楽しんでいるわけではぜんぜんないということだ。
ここにいる人は皆必死なのだ。それぞれに待っているモノや、ヒトがいるのだろう。僕も膝を手術して2ヶ月入院し、リハビリをしたことがあるから、彼らの気持ちは分かる。僕の場合は社会生活に支障が出るほどの後遺症は残らなかったのだが。

病室に荷物を起き、そのあと相談室に移った。そしてソーシャルワーカーと前田さんと僕を交え、今後についての話をした。相談室は車椅子の前田さんが入ると、ととても手狭になった。壁の高いところに少し開いた窓があって、そこから曇った空が見えた。雲は雨をたんまりと含んだ濃い灰色をしていた。

僕は担当を外れることになるだろうし、その後の前田さんの身の振り方について、少しでも役立つ情報提供をしておかなければいけないと思っていた。ソーシャルワーカーは前田さんについてアセスメントをしなけばいけなかったし、入院中の方針について他スタッフに情報を与えなければいけなかった。前田さは、しゃべりたいことが山ほどあったから、誰でも何でもいいから話しの場をセッティングしてほしかった。
それぞれの思惑が微妙に交差していた。微妙にしていたのはもちろん前田さんである。確認するまでもなく。

でも僕は前田さんに一方的にしゃべらせないよう努めた(ご想像の通り、それはかなり困難な任務だった)。彼の後見人(的役割をする人)と財産管理をどうするか。その雛形だけでも病院のソーシャルワーカーに引き継いでおきたかったからだ。現時点で前田さんがどのように考えているかだけでも確認しておきたかった。この確認する作業だけでも膨大な時間を要するのだ。少しばかりでも彼の扱いになれた人間がいたほうがいい。病院のソーシャルワーカーはそれほど暇ではない。

それに、もし成年後見制度を利用するのであれば、再度、僕が働いている地域包括支援センターの職員が関わることになるという理由もあった。もしその方向で動くのなら、僕にもいくらか仕事がまわってくる。

成年後見人などというものはいりません

まず僕が問題点として感じている部分について話した。つまり前田さんの財産管理と、社会生活能力が欠如している部分を誰かに補ってもらう必要がある、ということである。

これまでのつきあいがあるから、ストレートに問題点について話した。もう回り道はしない。話をオブラートに包むと、前田さんの反撃にあい、話が長くなる。前からちょくちょく彼には提案していたので、ダイレクトに成年後見制度を利用したほうがよい、と話した。

前田さんはもともと話が支離滅裂ぎみな人だったが、数週間ぶりに面と向かって話をすると、もっとめちゃくちゃになっていた。「ここまでくると完全に認知症認定が降りる」レベルだ。

かつてあった論理性は損なわれていた。何度も同じことをグルグルと回って話していた。こちらの話している内容について理解できていない感じだった。明らかに判断力が低下しているのだ。入院する前は判断力はそれなりにあった。もちろん高齢者だから甘い部分もあったけれど、生活者としてのレベルは最低限保っていた。つまり一応会話にはなっていたのだ。
でも今は会話にさえならない。自分の言いたいことを相手の話しを聞かずにしゃべりまくるだけのマシーンになっていた。

数週間の入院期間中にボケが一気に進んだのだ。よくあることではあるけれど、困ってしまった。困った理由は、意思の表示そのものは明確だったからだ。認知症のこういう人が一番ややこしい。しかし、僕が話の矛先を誘導すると(誘導するコツくらいはつかんでいたのだ)、成年後見制度について彼はきっぱりこう言った。

「成年後見人などというものには頼りません。信用できませんから」

「でもそんなこと言っても預金が1000万円以上あるんでしょ」と僕は言った。「前田さんが亡くなったら国が没収するんですよ。温泉地にいって、身体を治すんでしょう?そのために使えばいいじゃないですか」

前田さんの荷物は洗いざらい持ってきていて、通帳は病院で管理してくれるとのことだった。そのときに本人の了解を得て、何枚かある通帳をソーシャルワーカーと一緒に確認したのだ。

合算すると、銀行には1000万円以上の貯金があった。このお金は誰かがしっかり管理する必要があるし、退院後の身の振り方についても誰か支援者がつく必要があった。

「後見人は必要ないです」
「それじゃ退院後の生活はどうするんですか?」
「なんとかします」

なんとかならんかったから、僕がボランティアで動いて、今この病院にこうしているんでしょうが。なんてことは言わなかったけれど。

そんなことの堂々巡りだった。気づくと、雨が降る前の、あの鼻の奥を刺激する特有の匂いがした。部屋の窓をみると、一面が黒い灰色の雲だった。雨が降る前に事務所に戻るのは無理だろうな、と僕が諦めかけていたところで、前田さんがこう言った。

「彼はお世話になっている宗教団体の事務長にお金の管理は任せるつもりです」

宗教団体?

遺産はいくらかを宗教団体に、いくらかを東北で町おこしをしている人に寄付してほしいと考えていた。そう彼は話した。その話しにいくまでに、2時間くらいはかかっただろうか?昔のことなので時間までは覚えていないが、もっと短かったことを願う。本題に入るまでに何しろ時間がかかるのだ。

宗教団体の話は前からちょくちょく聞いていた。前田さんがその団体を本当に信用しているのか(というより信用してもいい団体なの)か、今ひとつ分からなかったが。でも本人の意向がそうであるならば、無視して勝手にことを運ぶわけにもいかない。

彼は数年前からその新興宗教団体が行っているボランティアに参加していて、付き合いを持っていた。自分に何か困ったことが起こったら、頼るように話しもしていたというのだ。その割には、今までまったく表に出てこなかったのだが?

前田さんはその団体の事務長の名刺を持っていて、僕たちに見せてくれた。つまり、この人に電話してほしいということだ。成年後見制度は使わない、自分の身の振り方はこの事務長(以下団体の代表)にまかせるということである。

僕ができるのは、というか介入するのはとりあえずここまでだった。病院のソーシャルワーカーに事務長なる人物に連絡をとってもらい、前田さんの処遇については調整してもらうことにした。それが彼女の仕事である。

要介護認定の更新時期も病院にまかせることになった。主治医が本人のタイミンをみて主治医意見書を書くだろうし、要介護認定になったときには適当なケアマネが選ばれるだろう。

僕と前田さんの契約は実質的にここで終了である。あとは病院のソーシャルワーカーが担当の相談員として、支援にあたる。前田さんは彼女のクライエントなのだ。
そうして僕は、マエダラビリンスから抜け出した。感動も何もなかった。藪から顔を出したら、すでに目の前がゴールだった。そんな感じだった。病院の外に出ると、予想通り雨が降っていた。冷たく、重く、そして静かな雨だった。

つづく

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