早く終わらせたい弁護士〜ふたたび、前田久夫さんのこと〜

認知症の人が増えている。これは紛れもない事実である。でも認知症の人が増えるに従い、認知症に対する理解が深まっているかと言うと、そうでもない。認知症というのは単なる脳の萎縮といった解剖学的な問題に留まらない。相当物忘れが進んでいても、周囲の人が問題にしなければそれは認知症ではないし、物忘れそのものや、物忘れによって生じる行為を周囲の人が問題視すると、それは認知症になる。

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認知症よりももっと根源的なもの

前田久夫さんは最初のうちは目立った物忘れはなかった。だから認知症者ではなかった。コミュニケーションに少し(いささか、いやかなり)問題があったけれど。しばらく後に入院することになるのだが、その時から物忘れが加速度的に進み、他人とのコミュニケーションもっと困難になった。まるで夢の中にでもいる人のようで、まったく会話にならない。ちゃんと返答はするのだが、話がすぐに脱線して、そこから前に進まないのである。
本人の意思を代行する家族や後見人もいなかったから、治療の方針や退院後の行き先について決めることができなかった。

その時には周囲の人から完璧に認知症が原因の問題老人と見なされていた。でも僕は彼のことを「認知症が原因」で支援が必要な人は捉えていなかった。彼が抱える問題にはもっと根源的なものが横たわっているように感じたのだ。

確固たるポリシーを持った人

大腿骨骨折をしたあと、病院に通ってリハビリを続けていたとはいえ、年齢的なものもあって機能がじょじょに低下していっていた。加えて、彼の生活環境は芳しいものではなかった。栄養になるものはほとんど食べていない。魚の缶詰かレトルの煮豆くらいしか食べていなかった。僕はもっと栄養のあるものを食べたほうがいいですよ、と言ったのだが、「弁当は味が濃くて口に合わないし、自分は偏食だから」と言って頑なに自分が買ってきたものだけを食べていた。

まわりにまったく頼れる人がおらず、彼の心象世界はほぼ独りで完結していた。僕が担当になる前までは電車でお気に入りの銭湯に通っていたのだが、それも負担になってやめてしまった。そしてじょじょに外出することがなくなっていった。

運動量が減り、長距離の歩行もだんだん難しくなってきた。冬の寒さのせいもあったと思うが、体の動きが悪くなり、外出のための準備に時間がかかり、リハビリの受診時間に間に合わなくない。それに対して彼はいつも文句を言ってイライラしていた。努力はしていたと思う。でも体が動かない。その自分の体の不自由さが彼の精神的の不穏に拍車をかけていた。

僕が関わりはじめてからも運動機能の低下が目に見えて分かったし、冷蔵庫の中身もどんどん寂しくなっていった。住宅の近くにある喫茶店で食事をとることもあったらしい。僕は喫茶店に言ってちゃんと裏もとった。まだそれくらいのことはできるようだった。

しかしそれにしても冷蔵庫には缶詰が数個しか入っていない。買い物ができなくなっているのは確実だった。もともと調理なんて何年もしていなかった人である。キッチンは漢方薬を飲むための白湯を作るためお湯を沸かす程度にしか使われていなかった。これまで普段の食事は弁当を買うか外食をしていたのだが、食事回数そのものが減っているようだった。

でも他人が家に入ってくることに抵抗を覚えるらしく、最初は訪問介護員の派遣をとても嫌がった。電話もないから宅配弁当を頼むこともできない。電話をひかない理由を聞きくと、彼はこう答えた。

「余計な電話がかかってくるですよ。だからいらないんです」

それが彼の生活スタイルならしかたないが、介護関係者としてはメリットを超えてデメリットが大きい。何か連絡することがあっても、いちいち訪問しなければいけないのえ、大変面倒くさい。結局最期まで電話をひいてもらうことはできなかった。

こちらがよかれと思う提案を素直に受け入れる人ではないのだ。訪問介護の責任者にも一度会ってもらって話し合ったのだが、僕たちは諦めることで合意した。電話をひくこと、ヘルパーが買い物をすること、掃除をすること(これも拒否した)、長話を途中でさえぎること。
彼には彼なりの確固たるポリシーがあった。電話を設定しないと決めたら設置しないし、自分が話したいだけ話すまでは絶対話し通すのだ。

僕たちが前田さんのそんな態度を容認したのは、彼をよりよく理解するためだった。そのために余計に時間をとられることになったが、84年も生きてきた人のことを理解するためにはそれなりの時間が必要だと僕たちは考えていたように思う。非効率の中に真実を見出すこともあるのだ。

デイサービスの利用開始

申請してから1ヶ月後にやっと要支援2の要介護認定が下りた。僕は彼の様子から要介護1くらいは出るものと思って、要介護担当のケアマネとも一緒に動いてもらっていた。しかし支援認定が出てしまったので、晴れて僕が前田さんのケアマネ担当になった。

彼の希望はとりあえずお風呂に入りたいということだった。その頃には病院へのリハビリに通うことができなくなっていた。またリハビリを希望してたので、機能訓練ができるデイを探した。それくらいのデイサービスならたくさんある。
しかし、問題は電話がないことと、前田さんの性格である。要領を得ない話に介護スタッフや他利用者が巻き込まれることは明らかだった。トラブルが頻発するだろう。そのたびに僕が出向くことになる。彼のような利用者を受け入れてくれるデイサービスはそれほど多くないのが実情である。

まもとな食事をしていなかったので、ちゃんと昼食がでるデイにする必要があった。それと従来型のデイで朝から夕方まで利用できるところ。リハビリ主体の単時間型のデイだと、3時間程度の利用時間だし、入浴もない、昼食もない。
しかも前田さんがそんなところに行ったら機能訓練のメニュー時にいちいち「これはどんな目的で、どんな効果がある訓練ですか」なんてことを介護スタッフに訪ねただろう。スタッフ側としては仕事にならないと思う。

幸い、僕と同じ法人のデイサービスが前田さんにとって理想的なデイだった。軽度者から重度者まで幅広く受け入れていて、機能訓練もしている。ちょっとくらい扱いにくいような利用者でも受け入れる懐の広さがある。相談員の男性は特養からの叩き上げだ。前田さんの対応を安心してまかせることができる。また前田さんの家には電話がないから、情報の共有に同じ建物内にデイがあると、とても助かるのだ。

そうして週2回前田さんにはデイサービスを利用してもらうことになった。彼はずいぶんデイが気に入ったようだった。食事が口にあったのと、風呂も彼好みだったらしい。

僕がデイを利用してもらおうと思った最大の目的は、彼にとって家以外のもう一つの居場所を作ることだった。人間関係を築き、楽しく過ごし、生活にリズムをつける。彼のようなずっと独りきりの生活で、頼るのは自分自身といった生き方をしてきた人は、要介護状態になってからいっそう介護に手を焼くことを僕は経験的に知っていた。
今のうちに、「他人に頼る」という意識を少しでも持ってもらいたいと思っていた。

自転車事故の賠償金は数百万円

デイサービスに通いはじめてスタッフとも他利用者ともそれなりに馴染んできた頃のことだ。前田さんの部屋を訪ねていた時に、彼が封筒を僕に渡してきた。中の書類を読んで欲しいということだった。

それは前田さんの担当弁護士からの手紙だった。手紙の要約はこうだ。

「自転車事故の賠償金ですが、相手からこれだけの金額を払うと言っています。あとは前田さんがこの内容で示談を納得していただければこの案件は終わります。支給連絡をくれたし。連絡なき場合は私は交渉からはずれます。」
「以前から何度も手紙などを出していますが、いっこうにお返事がありません。このまま返事がないのならば、この話は終わりにさせていただきたいと思います。一度連絡をください。お会いした時にこの賠償金の最終的な了承をいただきます。お返事がない場合は、このお話しはなかったことにさせていただきます」

手紙には賠償金の金額も書かれていた。ちょっと目をむくような金額だった。僕の年収の倍以上ある(自転車事故も
バカにできない)。
僕は前田さんに早く弁護士に連絡をしてこの案件を終わらせたほうがいいんじゃないですか?と提案した。前田さんはもちろん早く解決させたいと思っていた。でもその後に続いたのは、弁護士への悪口である。私は身動きできないのを知っているはずなのに、あちらが訪ねてくるのが筋ではないかとかなんとかかんとか。

でもこれは僕の仕事とは関係ない。前田さんと弁護士との間の問題である。何からまにまでケアマネが面倒みるわけではないのだ。そんなことをしていたら身が持たない。ケアマネは聖人君子ではない。でも僕は予感がしていた。自分がこれに巻きこまれないはずがないだろうな、という予感である。

早く終わらせたい弁護士登場

前田さんの担当弁護士は、彼の祖父の時代のものじゃないかというくらいくたびれた茶色のスーツを着ていた。もともとは滑らかで上品な生地だったと思われるそれは、今では家畜用の毛布みたいに見えた。手に持った黒い革カバンもそうとうくたびれたものだった。色の濃淡が違い、ボロ雑巾を繋ぎ合わせて、カバンにしたような感じだった。昭和から平成までのありとあらゆる匂いを吸い込んできたような骨董品。
茶色の靴はよくみると所どこが擦り切れてほどけていた。年は55歳から60歳までの間に見える。一見して成功した弁護士には見えない。頭髪はかなり薄くなっており、お腹はでっぷりでていた。肩はひどくなで方で、世の中のいくつもの悲劇をその肩に乗せているような感じだった。

僕は自分の事務所の廊下に設置されたの大きめのソファに前田さんと並んで座った。目の前にはくだんの弁護士が座った。カバンから何枚かの書類を出してテーブルに並べた。顔つきは少しの緊張と、それ以上に濃厚な疲労が浮かんでいる。そんな顔を隠そうともしない。これから何が起きるかを彼はもう十分知っているのだ。

僕がなぜ自転車事故の示談解決の話し合いの場に同席しなかればいけなくなったのか?端的にいうと、前田さんと弁護士の双方に頼まれたからである。前田さんがいつまでも弁護士に対して返事を出さなかったので、しょうがなく、僕が弁護士の名刺先に電話したのだ。これがいけなかった。

「もしもし、僕は前田さんの介護保険の担当ケアマネージャーをしています。前田さんから自転車事故についてお聞きしたいのでお電話しています。電話がないので、一度前田さんとお会いしていただいて、示談の手続きをしていただけますか?」

僕は別に自分が弁護士と前田さんの話の場に同席する気なんか毛頭なかった。そんなのケアマネの仕事ではない。それに、前田さんのことだから話が長くなることは目に見えていた。そんなものにつきあうほど暇ではない。しかし、前田さんと弁護士双方の強い要望で、僕も同席することになった。しかも、場所は利用中のデイサービスである。(つまり僕の事業所)。やれやれ。弁護士はどうしてわざわざデイサービスでこんな話をしなければいけないのか?
まあそのようにして、我々はマエダズ・ラビリンスの中に分け入ることになった。

キレた弁護士

「私はこの案件を早く終わらせたいんです」と弁護士は言った。まだ話は始まったばかりだというのに、弁護士の声には苛立ちが含まれていた。
いくつかの確認事項の間に、前田さんは黙って聞くことができず、所々につっこみを入れた。そのうちに弁護士がキレた。
「あなたが返事をしなかったからこれだけ長引いたんでしょ」

「ちょっと待って下さいよ、僕の意見をまず聞いてくださいよ」と前田さんは言った。

それから前田さんは、えんえんと事故を受けたときから病院に入院してリハビリを受けるようになった経過、自分が置かれた状況がどれほど切羽詰まった余裕のないことをまくしたてるように喋った。

他になにやら細かい話もでたが、だいたいこんなやりとりが1時間続いた。この弁護士はこういうやりとりをこれまでに何回も繰り返してきたんだろうな、と僕は思った。そりゃ嫌になるだろう。その気持はまあ分かる。だいたい3時間ほどたったところで(いつもこれくらいかかる)、前田さんはこう言った。

「あなたがしっかりしてくれていれば、こんなに長引くことはなかったんだ。弁護士としての仕事をちゃんとしてくださいよ」

その言葉を聞いて、弁護士はさらにキレた。もう自分が弁護士であることを忘れてしまったようだった。職務放棄してこのまま帰るんじゃないかと僕は期待した。でも帰らなかった。日本人は我慢強いのだ。

あえて弁護士がなんと言ったかは書かないけれど、僕も気持ちだけはわかる。もうここまでくるとクライエントとの信頼関係もなにもない。完全に崩壊していた。

「はい、もう一度確認しますが、この額でいいですね?いいなら、これでお金が振り込まれます。私はそのうちのこれだけを報酬としていただきます。これで終わりです」

弁護士は今日一番言いたかった言葉をそう結んだ。正確な金額は覚えていないのだが、記憶をつつくと、たしか示談金は700万円程度だったと思う。弁護士は頑張れば800万円近く向こうが出すと話してたが、前田さんは金額は問題ではないと言ってサインした。そうして最期にこう言った。

「僕は金額についてはどうでもいいんですよ。あなたがしっかり仕事をしてくれればいいんです」

前田さんは最期の最期まで引かなかった。たいしたものだと思う。僕はずっと何もいわずにそのやり取りをみていたが、彼らの話は終始噛み合わなかった。弁護士は僕に助け舟をだしてほしかったのだろうが、そんなこと僕の仕事ではないのだ。僕はケアマネとして、前田さんの代弁者としていちおう同席しただけである。でもそんなことをする必要はなかったわけだ。

弁護士は自分の報酬は示談金の数%と言っていた。交渉に関わった期間は長くても1年ほどである。それで数十万円の報酬。ケアマネの僕なんか月に数時間も前田さんに拘束されていたが、それで1ヶ月4300円程度の報酬しか発生しない。報酬は介護保険で決まっているからだ。1年でも50000円ちょっとである。そもそも弁護士とケアマネを比べるのはおかしいとは思うが、それでもこの金額差はなんだろうか?と思う。弁護士もケアマネもやっていることは連絡・調整・書類の作成だと思うのだが。まあこれは僕のやっかみである。

まあそんなこんながあったが、デイサービスは気に入ってもらえから、これから順調にいくかもと思えた。しかし、彼の機能は日々低下していった。いくら週に数回運動しても、運動機能は簡単に向上しない。今から思えば、早めにどこかの老人ホームに入居していたらと思う。まあ本人が拒否しただろうから、「もし」や「ああしていれば」という選択肢はなかったのだけれど。

つづく

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