夢追う84歳〜ふたたび、前田久夫さんのこと〜

「隣に前田さんという一人暮らしのお年寄りがいるのですが、買い物に行くのも時間がかかり、困っているようです。一度話を聞いてあげてくれませんか?」

それは前田さんと同じ市営住宅に住む男性からの電話だった。男性の部屋は前田さんの2つ隣にあった。

「介護サービスを受けることについては本人も納得しているようです。朝なら家にいると思うから、訪ねてきて欲しいと言われていました」。僕は前田さんの電話番号を聞いたが、男性は知らなかった(後で分かったが前田さんは電話を持っていなかった)。

翌日、さっそく僕は前田さんの部屋を訪ねた。事前の情報はほぼゼロ。一人暮らしで、買い物に行くのに時間がかかり困っている、これだけである。チャイムのない部屋だったので、僕は玄関をコンコンと叩いた。季節は冬で、前田さんの住んでいる部屋は高層にあったから風が否応なく吹きすさぶ。廊下には僕一人だけである。空は一面どんよりとした灰色の雲がかかっている。数分待ったが応答がない。留守かなと思いながらもう一度玄関を叩いた。今度はさっきより強めに。ゴンゴン。

少し間をおいてからゆっくりとドアが開いた。

面接のスタイルは人それぞれ

僕は介護相談をしてきた隣人の男性の名前を出し、丁寧に自己紹介した。だいたいの話は伝わっていると思うが、アポなしで訪ねて個人情報を聞き出すのである。下手にかまえられると後々まで響く。初回面接は大事なのである。

「ああ、聞いてますよ」と前田さんは言った。「どうぞ、入ってください」。

ケアマネとして利用者の家に入る経験を重ねると、玄関から部屋に通されて椅子に座るまでの動線で、住んでいる人の性格や生活の様子がだいたい分かるようになる。玄関で靴を脱ぐと、廊下に椅子があり、そこに座ってくれという。僕は寝室でもダイニングでもなく、廊下に置かれた椅子に座った。市営住宅だから、廊下の幅は狭い。1mもない。前田さんは僕の前にもう一つ椅子を起き、そこに対面して座った。僕の後ろはすぐ玄関である。彼の家なのだから、別に文句をいう気も起きなかったけれど、奇妙と言えば奇妙である。

玄関入ってすぐ右側の部屋は寝室で、敷布団が2,3枚重ねられていた。ベッドはなかったから、布団を重ねることで段差をつけていたのだろう。もちろん寝起きしたあとに立ち上がりやすくするためだ。布団はみごとに茶色に変色していた。ここ数年は太陽の光を浴びたことがないことは容易に想像できる。廊下の左側はトイレで、扉は開けっ放しになっている。トイレの床が一部はがれて、黒い材質が露出していた。

廊下を直進すると狭いダイニングキッチンになっていた。1人用の小さい冷蔵庫とテーブル。テーブルの上には小物が散乱していた。古い書類がつっこまれた収納ケースがいくつかあり、その周りには文房具、封筒、ハガキ、メガネ、湯呑み、薬辞典、温泉特集の雑誌。そして数種類の漢方薬が大量にあった。ダイニングキッチンの隣にはもう一つ部屋があったのだが、そこは使っていないとのことで、見せてくれなかった。

部屋の様子からして、おそらく最低でもここ5年は一度も掃除はされていないはずだった。もしかしたら10年かもしれない。不潔には違いないのだが、これはまだマシなほうである。僕は自分のすぐ足元に3日前に死んだ犬が転がっているような臭いの家や、ほこりとゴミと鳥の糞だらけの家に訪問したことがある。部屋中にビールの空き缶と、ピザとマクドナルドとケンタッキー・フライドチキンの空き容器が散乱していて、ハエがぶんぶん飛んでいる所に入ったこともあった。床が油か何かでギトギトに汚れていて、冷蔵庫の中にかつては食べ物だったものが黒い液体に変化したビニール袋を発見したお宅もあった(前田さんの冷蔵庫にはレトルトパウチと缶詰しかなかった)。そんな家に比べたら彼の部屋はまだ清潔な方だった。

僕は初回訪問では、話を聞くのは長くても1時間程度にしている。お互い初対面だし、まだ関係を探り合う時期なので長時間は疲れる。もちろんケースバイケースだけれど、とりあえず最低限必要の情報が得られれば、それで良いと思っている。詳しい生活歴やら趣味の話はまた今度で、というスタンスだ。でもこれは僕がそうするということであって、人によってやり方が違う。

同僚の看護師は初回面接の段階からエンジン全開で、取れる情報はすべて取ろうというスタンスの人だった。ADLから始まり、家族歴、生活歴、趣味、今一番困っていること等など、短い時間でできるだけ効率的に情報を取ろうという意気込みで話を聞いていく。看護師を基礎資格に持つケアマネにはこういう人が多かったように思う。情報の精度は高い。黒と白をはっきりさせて曖昧にしない。それはそれで良い。

また、そんな聞き方が許されたのは、彼女の性格(キャラクター)によるところも大きかった。彼女の背後には、「あなたのことをできるだけ頑張って支援したい」というオーラが見えるようだった。僕は自分なりに誠実に利用者に接していたと思うが、そんなオーラまで出せるタイプではない。それぞれ自分に合ったスタイルがある。

「まず僕の話を全部聞いてからにしてください」

でも彼女が前田さんの担当になっていたら、たぶん上手くいかなかったんじゃないかと思う。なぜなら、前田さんは超がつくくらいマイペースな人だったからだ。まず自分が話したいことを全部喋り終わるまで、相手の意見を聞き入れなかった。こちらの質問はほとんど届かなかった。彼の話はよく脱線したので、それを修正しようとすると、「まず僕の話をぜんぶ聞いてください」と言って自分の話の途中にくちばしを挟まれることを受け付けなかった。当然、こちらの話はまったく前に進まない。

しかも前田さんの話は話題があっちこっちに飛びまくる上、同じところを3周し、一旦もんどりうって後ろ向きになって2周まわるといった感じだったので、話の筋を追っていくのに骨が折れた。バカ正直に話を進めようと思うと、最低でも3時間は拘束された。

彼は現在84歳で、大阪の電気会社に勤めていた。出身は宮崎県で、身内と言える人は宮崎に住む姉しかいない。結婚したことがなく、子供もいなかった。若い頃には東京に単身赴任していたことがあるらしく、そこで仕事のかたわらボランティアに精を出していたらしい。また若いときからアトピーがあったらしいが、東北の温泉に湯治してアトピーを自分で治したと誇らしげに語った。他の病気や怪我も温泉に入って治してきたそうだ。

50代半ばで神戸に戻ってきたあとは、会社の人と折り合いが悪くなり早期退社した。その後はとくに仕事に就くことはなかった。隣近所との付き合いはなく、友人と呼べる人もいなかったが、地元のボランティア団体の活動には従事していたらしい。そのボランティアは新興宗教の団体が母体だったが、前田さんは宗教には興味がなく、ボランティアの理念に共感して関わっていただけのようだった。

初回面接で3時間

そんなこんなで一人暮らしを続けていたのだが、1年くらい前に大腿骨骨転子部を骨折した。道を歩いていたところを後方から自転車にぶつけられ転倒したのだ。自宅からすぐ近くの病院に入院、手術し、退院した。今も徒歩でリハビリに通っているとのことだった。

「だんだん体が動かなくなっているんですよ。でも東北にいい温泉がありましてね。そこに行って体を治したいと思ってます」

僕は9時20分から話を聞き始め、終わった時は12時20分だった。それも僕の方から話を切った。話を切らなければプラス2時間くらいは喋っていたのではないかと思う。こちらは一方的な聞き役だった。いくら人の話を聞くことに慣れているとはいえ、終わった頃には僕はヘトヘトになっていた。
前田さんは自分の話の途中で相手に口をはさまれることをひどく嫌った。僕が話を整理しようと前田さんに何か言うたびに、「まず僕の話を全部聞いてからにしてください」と言われた。でもそう言われても、どこがスタートでどこが終わりなのか僕にはもう分からなくなっていた。

彼の話は文脈があちこちに飛ぶので、筋を追うのが大変だった。話の順番がしょっちゅう行ったり来たりした。Aの次にBが来るとは限らず、Zの後にもまだアルファベットが続いた。僕は自分が複雑な迷宮に入り込んだ気がした。方向感覚が狂い、方角を見失い、そのうち自分がここに来た理由さえ忘れてしまうような、暗く深い迷宮。脚が痺れ、やがて腕まで痺れてくる。五感の感覚が失われていく。ずっと座っているからお尻も痛い。
やれやれ、これは手強いぞと思った。そして同時に、「めちゃくちゃ面白い人に出会ったぞ」とワクワクしたのを覚えている。

夢追う84歳

前田さんは介護認定を受けていないなかったので、まず認定の代行申請をした。これを受けていないと介護保険サービスが使えない。彼の状態をみるとADLはいちおう自立していたし、買い物に行けるくらいの能力もまだあったから、介護サービスの利用は認定結果がでてからにした。

また、彼はその時はまだ認知症とは呼べなかった。高齢だったから記憶力や判断力の低下はとうぜんあったが、病的な物忘れは見られなかった。

要介護認定が出るまでには1ヶ月かかるため、僕はその間に2,3度訪問した。前田さんの家には電話がなかったので、生活状況を確認するためだけでも、訪問しなければいけなかった。
要介護認定が出たらすぐに介護サービスが利用できるように、何曜日にヘルパーを入れたらいいか聞きたいだけなのに、訪問するたびに東北の温泉に行かねばならない話を2時間も聞かされた。相変わらず本筋に関係のない話が入り込んでくるので、忍耐力が必要になる。

彼の話では「東北の温泉宿に長期逗留して、そこで体を治す」ことが繰り返された。しかし僕は彼がどこまで本気かが分からなかった。それは現実的に考えると、非常に困難なものに思えたからだ。若い時は実際に温泉宿に逗留していたのだろう。でもそれは自由に体が動いていたときの話だ。今では押し車を押してやっと歩けるくらい程度の身体機能なのだ。
また東北の人や土地にアテがあるのならいい。でも前田さんは東北に知り合いは誰もいないと言った。土地のアテもなかった。東北まで行けば、何もかも解決するのだと話すばかりで、具体的なプランなど何も持っていなかった。だから僕はこう考えた。東北の温泉宿に逗留する話は前田さんの願望であり、また夢なのだ、と。

その時の僕はまだ理解できていなかったのだけれど、前田さんはずっと夢を追って生きてきた人だった。認知症のために妄想を抱いていたとか、高齢のために判断力が落ちて現実が見えなくなっていたとか、そういうものではなかった。彼はずっと夢の中に生きてきた人だった。それが彼の人生だった。

つづく

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