幼稚園を嫌がる娘とデイサービスを拒否する老人の共通点

先週末から今週末まで僕の2人の子どもがかわるがわる体調をくずしていた。シーソーみたいに、片方が上がっている時はもう片方が下がっている状態である。
下の女の子のほうは咳がでて夜しっかり眠れない。昼間も咳が続くので大事をみて幼稚園を休ませなければいけなかった。で娘の咳が治ってきたかな、という頃合いに今度は上の男の子が腹痛を訴え、「頭がくらくらする」といって寝込んでしまった。
僕の子どもたちは普段は一重まぶたなのだが、体調が悪い時には二重まぶたになる特徴がある。ウルトラマンが地球で活動できる制限時間がくると、胸のボタンがピコピコ光るのと同じである。非常に分かりやすい。

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用事もないのに呼ぶ子ども

子どもたちのまぶたをみると、しっかり二重になっているので本当に体調が悪いらしい。でも熱はないし、寒気もしないし、嘔吐もしない。よって病院につれていくほどでもない。だから布団に寝かせて様子をみるしかない。

しかし、ただ寝込むだけならいいのだが、子どもがときどき僕を呼ぶのである。ナースコールはないから(あたりまえだけど)、声で呼ぶ。呼ばれれば「はいはい」と行かないわけにはいかない。だが僕が行っても、とくに用事を頼むわけではない。ただそばにいてほしいだけなのだ。そういえば介護施設にも5分おきにナースコールを押す老人がいた。最初のうちこそ何かしらの用事を申し渡してくるのだが、何回も呼んでいるとむこうも用事のネタがつきる。しまいにナースコールで職員を部屋まで呼んでから、用事を「えーと・・・、」という感じでその場で考えるようになる。僕は我慢強くつきあっていた方だと思うけれど(他の人はプリプリ怒っていた)、内心はやっぱりうんざりしてしまう。

子どもが僕を呼ぶのも心理的に同じものなのだろう。1人で部屋で寝ていると不安だから、用事はないけれど呼んでしまうのだ。でも十数分おきに子どもに呼ばれる環境で仕事に集中できるわけがない。できる人はいるかもしれないが、僕はそれほど精神コントロールがきく人間ではない。

『美味しんぼ』の海原雄山なら「用事もないのにいちいち呼ぶな!このバカ者が!」なんて言うかもしれないが、僕はそこまで苛烈な態度をとることはできないから、仕事か子どもかという二者選択を迫られることになると、まあどうしても子どものほうをとってしまう。それはいま僕が兼業主婦をしているからでもあるけれど、まあ甘い人間だということですね。

僕は極端な性格で、かつ完璧主義的な傾向が強い人間である。子どもの相手をしつつ仕事なんてできない。そんな状況だと、とてもイライラする。そのイライラを子どもにぶつけたくないから、仕事のほうをほっぽり出すようにした。世の中には在宅ワークをしていても、子どもの面倒をみつつ仕事もしっかりできる人がいるのだろうけど、僕には無理みたいだ。

幼稚園に行きたがらない子どもをどう説得するか

2人の子どもの体調も良くなり、上の子は小学校。下の子は幼稚園である。ああ、これでいっとき解放されると思ったのもつかのま、登園する朝になって下の子が「幼稚園に行きたくない」とごねて号泣してしまった。
娘は少し人見知りするタイプである。幼稚園では猫をかぶっている。休んでいる間は家で親にべったり甘えることができたのに、幼稚園に行くとまた猫をかぶらないといけない。それが精神的に負担なのだろう。僕も同じタイプの性格なので気持ちはわかるのだが、こちらとしては幼稚園に行ってもわないと困る。僕の気が狂う。

だから行きたくないと泣く4歳児に対してまず論理的な説得をこころみた。
「他の子はみんな幼稚園に行っているから君もいかなければいけない」
「幼稚園に行けば他の子たちと遊ぶことができる」
「体をいっぱい動かして遊ばないと不健康になる」
「君が幼稚園に行ってくれないとパパが仕事ができない」

上のようなことをいってもぜんぜん聞く耳を持ってくれない。言葉の通じない外国で迷子になった子どものように、ますます泣くばかりである。次の手を考えなければいけない。褒め殺しである。
「うわあ、こんなに力が強くなったんだね、大きくなったね」(拳で僕を容赦なく殴ってくるので)
「いや〜、なんて君は可愛いの?泣いている姿がアナ雪のエルサみたいだね」
「わあ、すごく大きな声がだせるんだね、すごい、すごい」

これでも泣き止まない。僕をボコボコに殴ることをやめる程度である。
次の手は泣き落としと懇願である。
「この通り、お願いだからお願いだからパパのために幼稚園に行って」
「お願いします、お願いします、今度の誕生日に何か買ってあげるから」
「えーん、あーん、幼稚園に行ってくれないよう〜。パパ泣いちゃうよ〜」とこちらも泣く。

ここまでしてもダメである。でもようやく泣きつかれたのか少し落ち着いたので、「じゃあ幼稚園行こっか」とさりげなく言ってみた。すると即答で「いや!」である。振り出しに戻る。泣く真似までした僕の努力はなんだったの。

こうなると最期の手段を行使するしかない。脅迫である。
「じゃあパパだけ幼稚園に行くから。家で1人でいなさい。1人でいたら妖怪がやってきてどこかに連れさられるかもね」。そういって玄関から出ていこうとした。その段になってやっとこの小さい悪魔はしぶしぶ「しゃあない、ここいらが潮時か」といった表情で(本当にそういう表情をするのだ)、靴を履いた。そうしてやっとこさ幼稚園に連れていくことができたのだ。

娘も朝から号泣で疲れただろうけれど、僕も朝からくたくたである。幼稚園の送り出しだけでなんでこんなに疲れなければいけないんだ、と思う。

デイサービスを拒否するお年寄り

こんなやりとりをしている間に僕の脳裏に浮かんだのは、デイサービスに行くのを拒否するお年寄りの姿だ。おどろくほどよく似ている。そう思いながら娘の相手をしていた。僕の担当利用者が初めてデイサービスに行く時に立ち会ったことがある。たぶんデイに行くことを拒否すると思ったから、僕も説得のために同席したのだ。いざデイのスタッフが迎えにくると、予想通り「行かない」の一点張りである。昨日まではデイに行くといって同居の奥さんも安心していたのに、当日になって拒否。まあよくある話だが、デイに行ってくれないと奥さんの気が狂ってしまう。

僕も奥さんもデイの男性相談員もみんなで褒め殺しや泣き落としでデイに行って欲しいと説得した。僕とデイの相談員はさすがに脅迫まではしなかった。脅迫したのは奥さんである。ここに書くのは憚れる言葉だったので書かないけれど。だがけっきょくその日はデイに連れて行くことができなかった。困った僕たちは一計を案じた。次の日の迎えは若い女性スタッフに来てもらったのだ。本人は最初こそ「行かない」と嫌がっていたものの、女性スタッフが優しくボディタッチなんかすると、しぶしぶデイに行くことを了承した。

自己同一性と本能的な恐怖

認知症といっても、デイサービスに行くことに抵抗のない人もいれば、強固に拒否する人もいる。安心できる家から出て、見知らぬ他人に囲まれた空間に行くことは誰にとっても抵抗があるものである。だから拒否する気持ちはわかるのだが、それでも認知症の人の拒否の仕方は普通ではない。それは認知症という特別な状態だからじゃないの?とも言えるが、認知症でも別に拒否する人ばかりではないのだから、認知症だけが理由ではないのだろう。

幼稚園に行くのを拒否した僕の子どもと上の例で上げた認知症のお年寄りは似ている。もちろん対応の仕方はまったく違う。この部分は明確にしておかないといけない。認知症の人の対応として、子どもと同じように接してもけっしてうまくいかない。ボケているといっても彼らは人生経験を積んできているから、なかなか一筋縄ではいかない。そこはへんの対応の仕方は子どもとはぜんぜん違う。

しかし、デイを拒否するお年寄りと、僕の子どもが幼稚園への登園を嫌がったことの理由は同根ではないかと思う。つまり、自分のアイデンティティを消失するかもしれないという恐怖ではないだろうか。自分が自分であるというアイデンティティ(自己同一性)を確認する場所は幼い子どもにとっては自分の家であったり、自分の親だろう。

幼稚園や友達では自己同一性を確認するにはまだ弱い。認知症のお年寄りもそうではないか。物忘れに始まる認知機能の低下のため、自分が自分であると確認できる物事がどんどん脱落していく。それは恐怖以外のなにものでもない。初めての場所であるデイサービスやそこにいる介護職、他利用者は自己同一性を担保してくれない。彼らはそういった未知の場所へ行かないことで自己防衛しているのである。

「自分が自分でありたい」、「自分という存在を脅かす場所へは行きたくない」。デイサービスやショートステイ、そして老人ホームへの入居を強く拒否するお年寄りは、こんな本能的な恐怖と戦っているのだと僕は思う。本能的なものに論理で説得しても無駄だ。本能のほうが強いにきまっている。それならどうするか。本能には本能で対抗するしかない。

男性高齢者なら若くて可愛い女性介護職を、女性高齢者なら若くてハンサムな男性介護職を用意する。これでデイサービスへの拒否感が減る。下世話な話になるけれど、事実なんだからしょうがない。
こういうことをどこかの学者が統計調査して科学的裏付けをつけてくれたら面白いと思うのだけれど、まあ誰もそんなことしないですね。
でもまったく、こういうときには専門性なんてなんの役にもたちゃしないんだ。やれやれ。

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