「まさか自分に介護が必要になるなんて思ってもいなかった」という85歳

トイレが詰まった。朝、娘が大きい方を流したあとに水が流れなくなってしまったのだ。原因と結果の順序で考えると、娘のうんちが原因で水が流れなくなったのが結果だと思うのだが、4歳の子どものうんちにそこまでの破壊力があるのか?今となってはわからない。娘がうんちをするたびに形状まで確認してはいないからだ。僕の目の前にあるのは、限界線まで水をたたえた、なにか誇らしげなものさえ感じる、これまでに見たことのない便器の姿である。

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修理には3万8千円かかります

その日は夜まででかける用事があり、けっきょく業者を呼んだのは夜の8時過ぎだった。たまたま家の中にあった水のトラブル時に呼ぶ業者の電話番号が書かれたマグネットシートがあり、何も考えずそこに電話して来てもらったのだ。

「これは薬を2種類いれて、つまっているものを溶かした後にしないと便器を壊しちゃいますね」と業者の男は言った。年は60歳前くらいで、頭には毛が少ししか残っていない。いかにも水道工事のおっさんという感じの人である。なかなか愛想がよかった。吉本の芸人にいそうである。

「薬は1種類5千円かかります。それに作業費として2万8千円かかるので、3万8千円です」。そういって、どこかの見積書を出してきて、ほら、こんなふうにちゃんとやっているでしょう?という感じで見せてきた。

うちはとくに生活に窮乏しているわけではないけれど、それでもトイレの水詰まりに3万8千円もポンと出せるわけがない。そういうふうに僕が言うと、その男は「いくらなら(修理を)考えているんですか?」と聞いてきた。

「1万円以内だと考えていたんですが」と僕が答えると、その男はとつぜん不機嫌になってこう言った。
「20年この仕事をやっているけれど、1万円以下でやるところなんてどこもありませんよ」

それが捨て台詞になった。まあそんなことを言われても出せないものは出せない。その後、自分で水詰まりをなんとかしようと格闘した末、なんともならず、けっきょく夜の10時過ぎに別の業者を呼んで(今度はちゃんとインターネットで調べた)、水詰まりを直してもらった。修理代は8千円。ラバーカップか何かで押すと、簡単に水詰まりが直ってしまった。だから8千円でも高いと思ったのだが、夜の遅い時間に来てもらったのだし、結果的に簡単に直ったけれど実はプロの技を使っていて、簡単に見えただけかもしれない。なにより、修理の前にちゃんと修理費8千円と言われていたのである。それでゴーサインを出したのだから、こちらが文句を言う筋合いはない。

最初に来た業者のおっさんは20年の経験があって、1万円以下で修理をするようなところはないと言ったが、ちゃんと1万円以下でやってくれるところはあった。最初に電話をかけたところのマグネットシートはゴミ箱に捨てた。どうも僕の頭の中には、マグネットシートの業者=ぼったくりというイメージができてしまったようである。

特養=アルカトラズ刑務所?

世間には、いや介護関係者の中にも、特別養護老人ホームというと一度入ったら二度と出られないイメージがあるんじゃないだろうか。なんだかまるでアルカトラズ刑務所みたいだ。でもそう思われてもしかたない面がある。特養には昼間でも玄関の自動扉が自動で開かないところが多い。電源を切っているからである。もちろん入所者を勝手に出て行かせないためである。というか楽に管理したいからだ。

そういう施設では、ほんらい自動で開く扉をわざわざ手動でよっこらせと開かなくてはいけない。自動扉を手動で動かしたことがある人はわかると思うけれど、とにかく重い。これは天の岩戸か?と思うときがある。それでも手動で開くところはまだいいほうで、中には刑務所よりも管理が厳しいところもある。面会者でさえ、出るときにいちいち職員にパスコードを入力してもらわないと扉が開かないのである。そういう前近代的な考え方の施設がまだまだ多い。

こういうことを書くと「じゃあ入所者が勝手に出ていって、行方不明になったり車にひかれたらどうするんだ」と言う人が必ず出て来る。そういう人はまず自分が働いている介護施設の壁にご大層に掲げられている「理念(尊厳とか、共生とか書いてあるアレですね)」を倉庫にぶちこんでからそういうことを言ってもらいたいものである。

途中から何が書きたいのか自分でもよくわからなくなってきたので話を戻します。よっこいしょ。

入りたくて老人ホームに入る人はほとんどいない

アメニティとサービスが充実したお高い「老人ホーム」といえば、「高級」サービス付き高齢者向け住宅や、入居一時金が1000万を超えるような有料老人ホームだ。そういったところに魅力を感じる一部の人をのぞき、多くの人は「老人ホーム」に入りたいとは思っていない。

ほとんどは止むに止まれぬ事情のために入所(あえて入所という言葉を使うけれど)するのである。そこには自ら選択する権利が保障されているか、いないか、という問題もある。日本人は個人の意思よりも全体の総意のほうが優先される傾向にあると僕は思う。本人が主体的に(というかあきらめ半分に)老人ホームに入所したいと言えばいい。でも認知症であろうがなかろうが、「わしはホームになんか入らない、ここで死ぬ」なんてちゃんと意思表明しても、なんのかんのと入所させられてしまう。

それが良いとか悪いとかは、また個別に考えなければいけない問題だ。その是非についてここで考える気はない。確実に言えるのは、まだまだ多くの人は、自分が介護を受けるようになるとは考えていない。考えていないから、将来老人ホームに入る準備もしていない、ということである。

65歳、75歳、85歳が分水嶺

個人差が大きいのでいちがいに言うのは乱暴だが、やはり一般的に85歳を超えるくらいになると、いろいろと手がかかるようになる。65歳で高齢者に認定され、75歳で後期高齢者になり、また85歳で一つの分水嶺を越える、という感じだ。10年ごとになっていてわかりやすいと思うのだけれど、どうだろうか?

65歳で高齢者の認定をされても、85歳までまだ20年もある。75歳でも大きな病気や怪我をしていなければまだまだ頭も体も動く。85歳までは10年ある。これを短いととるか長いととるかは人それぞれだが、僕なら10年後のことまで考えて生活はしていない。これは30歳代でも70歳代でも本質的に違いはないのではないか、と思う。もちろん10年後のことまでばっちり焦点において、いろいろなことを準備している人もいるとは思うけれど、やはり全体からみればそういう人たちは少数派ではないだろうか。

「まさか自分に介護が必要になるなんて思ってもいなかった」

70歳代にでもなれば自分の介護の準備をしている人も多いんじゃない?と思うかもしれない。だが僕個人の経験から言えばNOである。その根拠は介護について最初の相談窓口になる「地域包括支援センター」に通算6年いたところにある。そこでずっと介護相談を受けていたが、本人もその家族も、介護について準備している人はほとんどいなかった。

要介護認定を受けに来た85歳のおばあちゃんがいた。その人が話のなかで、「まさか自分に介護が必要になるなんて思ってもいなかった」とか言うのである。僕は「おいおい、80歳も超えれば少しくらいは考えておくのが普通じゃないの?」と思ったけれど、まあこれは僕がずっと介護の仕事をしてきた人間だからそう思うのだろう。

僕だって「日本人の3人に1人がガンで死ぬ」と言われても、ガンになったときのことについて準備しているかと言われたらしていない。僕は母親をガンで亡くしているが、それでも自分がガンを発症するかもしれないなんて思ったことはない。ガンについて専門的に勉強したこともないし、ガンになったあとの生活設計もしていない。備えといえば民間の医療保険に入るくらいのものだけれど、そんなもの準備とも言えない。

離婚についても同じである。一説では3組に1組が離婚しているらしい。僕の周りでも離婚したケースを何組か知っている。でも離婚について準備しているかと言われると、何もしていない。

妻から明日とつぜん「あなたとは離婚するから」と言われるかもしれない。その可能性はゼロとは言えない。僕のあずかりしらぬところで粛々と何かが形而上的に進行していて、それがある日いきなり現実的問題となって浮上してくるかもしれない。一体誰に「そんなことは起こり得ないから大丈夫」、なんて言えるだろう?

人生にはどんなことだって

人生にはどんなことだって起こりうる。ある日とつぜんトイレの水が詰まることも起こりうるし、僕がガンを発症するかもしれないし、離婚だってするかもしれない。でも自分の身にそれが実際に降りかかるまでは、本当に自分にそんなことがおこるなんて思えない。それが人間というものではないだろうか?

決して正当化しているわけではないが、人生において起こりうるかもしれないすべてに備えるなんて不可能だ。起こりうるかもしれないあらゆることについて心配していたら、頭がおかしくなってしまう。あるいは頭がおかしくならないように、あまり先のことまで考えられないよう遺伝子か何かがうまく調整しているのかもしれない。

それでも僕はときどき遺伝子か何かに抵抗する必要性を感じる。あらゆることについて具体的な準備はできないまでも、あらゆることは起こりうるのだ、と考えることは必要である、と。心の準備というか、精神的な備えというか、まあそういうものだ。いざというときに、パニックをおこさず、できるだけ平常心を保って対応すること。僕たちにできることはそれくらいのことではないだろうか?

トイレの水詰まりは僕にそれを思い出させるために起こったことだったのかもしれない。あれはそのために必要な出費だったのだ。そう考えよう。まあどう考えようが僕の勝手である。

でも、本当に最初の業者に3万8千円も払わなくてよかったなぁと思います。平常心、平常心。

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