老猫のこと、リア王のこと、小川さんのこと、年を取ることにつきあうということは?

僕は猫が好きで、長年猫を飼っている。高校3年生のときに我が家に来た雑種のオス猫はもう18年のつきあいである。年も18歳くらいになるから、りっぱな老猫である。人間でいうと90歳くらい。さすがに昔に比べて付き合うのに手間がかかるようになった。

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我家の猫には介護が必要に

味の好みがうるさくなり、ずっと同じものを出していると食べなくなる。以前までよく食べていたものを食べなくなったりするので、いろいろな種類の餌をローテーションしながら与えている。これは博打そのもので、まったく食べないときもあればガツガツとよく食べるときもある。食べない時は餌が無駄になるので餌代が昔に比べて高くなった。

また昔は餌の横に置いていたボウルから水を飲んでいたのだが、今は淹れたての水を食卓の上におかないと飲まなくなってしまった。食卓の上に猫を上げたくないのだけれどしかたない。水を飲ませてくれるまで大声で鳴いて催促するから、うるさくてたまらない。

それにとても寒がりになっていて、僕が畳にすわるとすかさず膝の上に乗ってくる。僕が座るのとほぼ同時に身を寄せてくるので、まるでストーカーに見張られている気分である。家のなかに入った途端、携帯に「家の中寒いよね?はやく暖房つけたら?」みたいなメールを受け取る、そんな感じである。膝の上に乗っても昔はわりとすぐにどいてくれたのだが、年をとっておっくうになったのだろう。なかなかどいてくれなくなった。図太くなったというか、横着になったというか。

自分でほとんど毛づくろいをしなくなったので、ときどきクシで毛をすいてやらなければならない。最近は夜中に原因不明の大きな鳴き声をあげるので神経を逆なでされれいる。またときどき、肛門にうんちがついたままになっているので、肛門のまわりを掃除してやらなければならない。

ずっと飼ってきた猫だし、気心も知れた仲である。家族の一員と言っていい。それでも、というかだからこそというべきか、猫の年をとった表情には悲劇的なものを多少なりとも感じないわけにはいかない。猫の老いに疲れた表情がリア王っぽく見えるときがあって、それもなかなか悲劇的である。

リア王。シェイクスピアの三大悲劇の一つ。老齢を理由にブリテン王を退位し、王国を3人の娘、ゴルネル、リーガン、コーディリアに分割しようとする。上の娘ゴルネル、リーガンからは甘い言葉に乗せられれるが、末の娘の実直な言葉の裏にある誠実さがくみとれず、勘当してしまう。生来の気性の荒さと老いからくるもうろくから、娘ゴネリルとリーガンの腹の底を見抜けず、自分を助けてくれた末の娘コーディリアも姉たちとの対決のすえ、殺されてしまう。リア王は悲嘆と狂乱のうちに哀れな最期を遂げる。

リア王と小川さんのこと

リア王と言えば、僕が担当していた小川さんという男性がこのシェイクスピア悲劇の主人公そっくりな境遇だった。若い頃の放蕩がたたって、年をとってからは身体はぼろぼろ、介護が必要になった。多少のボケもみられるようになった。3人の娘がいたのだが、有り金はほとんど可愛がっていた長女と次女に渡したものの、けっきょく面倒をみてくれたのは一番面倒をみなかった三女だった(本人がそう言っていたし、三女さんも同じことを言っていた)。

小川さんの場合も本人からしてみれば筋金入りの悲劇だと思う。本人としてはそれなりに頑張ってきたのだろうが、よる年波には勝てず、ボケもでてきた。年をとることの一側面を嫌というほど見せつけるものじゃないかと僕は思っている。

でも、小川さんの場合はリア王のように末の娘と長女、次女が対決することはなくて、三女がなんだかんだと面倒を見てくれていてたのだけれど。僕は一度三女さんに聞いてみたことがある。

「なんで一番面倒をみてくれなかった父親の面倒を、いまになってこうしてみているんですか?」この質問に三女さんはこう答えた。

「だってほっとけないでしょう」

年をとるということ

年をとることに付き合うのは気持ちのいいものじゃない。我家の猫がまさにそうである。汚くなるし、手間がかかるようになる。死という衰退に向き合うのは、われわれの本能が絶対的に避けたいものだと思う。けれど、誰もが年をとるのだし、それはいつか自分もそう思われる側になるということだ。

猫ならまだ世話もできるというものだけれど、これが憎まれ口をきく人間だったら、本当に世話なんてやってられないよな、と思う。でも逆の立場から言えば、年をとれば憎まれ口のひとつでも言ってやりたくなるのかもしれない。

僕自身は年をとることを受け入れられるのだろうか?と今から考えている。憎まれ口をたたかない人間になれるだろうか?非リア王的な人物になれるだろうか?どうにかなりそうな気もするし、どうにもならんような気もする。そんな簡単なことじゃないよな、と目の前の老猫をみていて思うのである。

僕の子供も小川さんの三女さんみたいに「ほっとけないでしょう」と思って年取った父親の面倒をみてくれるだろうか。まあ、あまり期待しないほうがいいだろうね、と思う今日このごろである。

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