尊厳死問題を解消する方法

が行政側の肩をもつことはあまりないのだけれど、いわゆる専門家といわれる人たちのコメントに違和感を持ったので考証してみた。京都市が配布した事前指示書について批判されるというニュース。詳しくはリンク先の記事を。

画像の説明

京都市は、人生の終末期の医療に備えて自らの希望をあらかじめ書きとめておく「事前指示書」を市民が作れるよう、関連リーフレットと併せ、各区役所などで4月から配布を始めた。
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20170424000013
京都新聞ニュース

例えば「尊厳死法いらない連絡会」の冠木克彦弁護士のコメント。

「市の配布に大変ショックを受けている。事前指示書の押しつけは、差別や弱者の切り捨てにつながる。尊厳死や安楽死思想と同じ流れだ。胃ろうや人工呼吸器を使って長く生きる人はおり、生きている生命にこそ価値がある」
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20170424000013

記事の孫引きから自分の意見を述べるのはフェアでないのは承知している。それでもあえて言わせてもらうが、配布しているだけでは「押しつけ」にならないだろう。紙に強制的に書かせ、その内容に法的強制力をもたせるようなシロモノなら僕も「大変なショック」を受けるが、ちょっと過剰反応しすぎではないか。

終活(なんでも省略しすぎ)ブームがあり、事前指示書を書く人の割合も一定数はいるだろう。それでも全体からみれば少数である。まわりを見渡してもらいたい。こんな書類を手元においている知り合いは多くないはずである。
人は自分の死など想像したくない。またこんな事前指示書を目の前においても、本気でその時のことを想像できるものでもない。

人が死にゆく姿によりそった(ケア)した経験が必要だ。本で読んだり、ビデオか映画でみたとしてもそれはフィクションの領域を出ない。リアルな人を目の前にして、その死にゆく過程をともにしなければ、終末期についての実感は持てない。

そして大脳新皮質を獲得した人間は本能的に死をおそれ、考えることを忌避するものだ。想像してみて欲しい。土曜日の晩、家族そろって久しぶりのすき焼きだ、というときに、母親が「あのねみんな、おばあちゃんの命があと1週間って言われててね・・・」なんて話題は出さない。


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まあだからこそ京都市も上のような紙を配布、となったのではないか。自発的には終末期の自分の延命治療のことなど考えはしない。だから周知したいなら、公的機関が出すものが有効である。高齢者は役所が出したものなら良く読む。ただの広報活動ではないか。とくにめくじら立てるほどのものではないと僕は思う。

それでも批判があちこちから
厚生労働省の「終末期医療に関する調査等検討会」委員だった川島孝一郎医師のコメント

意思決定には十分な情報提供が大事。病状と介護支援の説明もない「事前の指示」はあり得ず(略)、胃ろうで暮らす人への生活支援情報もない一方、「延命治療」など使うべきでない言葉もある。国で決定されたもののように誤解を与える。
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20170424000013

僕はこのパンフレットと終末期医療に関する事前指示書 (京都市作成)を3回読み返した。しかし川島医師が言う「国で決定されたもののように誤解を与える」部分がどこかわからなかった。記者が自分の書きたい方向に文章を誘導することがあるので、川島氏の真の意図がよくわからないのかもしれないが。

批判されなくてもいい2つの理由
京都市の事前指示書には「わからない所は書かなくてかまわない」旨の説明がある。また市民への配布書類なので枚数が重なると困る。だから川島氏のいう「胃ろうで暮らす人への生活支援情報もない」のは当然といえば当然である。

詳しい情報をいれていったら分厚い冊子になってしまう。そんなものは配布しても人は読まないのだ。広報をはかるためには逆に情報を捨てるしかない。終末期について市民にひろく知ってもらう広報物としての性格を考えれば、「詳しい生活支援情報」については省く必要があったのだろうと推察する。

だから僕は別に悪くないと思う。もちろん医療世界のことには詳しくないので、「ガイドライン違反が〜」なんて話を持ち出されると反論できない。しかし、今回はこれでいいじゃないか?

理由は2つ。まず医療知識がない人は終末期における治療方法なんて自ら選択できない。メリットとデメリットがそもそもわからないからだ。だから主治医なり詳しい人に聞くことになる。これなら専門家に聞いて情報の足りないところをうめることになるし、相談すること自体に意味がある。自分の終末期を少しでもリアルなものとして想像することに一歩近づく。

もう一つ、医療や介護の知識がある人(僕らのような業界人)や、実際に終末期ケアの経験があり、詳しい人は正しい選択ができるだろう。もちろん正しいというのはその時点でその人が正しいと判断したものである。死に場所を病院にしていても、なにかのきっかけで家に戻すかもしれない。それは誰にでもあてはまる。いざその場所、その状況にならないと何を選択するかはわからない。事前指示書なんてしょせんその程度のモノである。

行政が旗振りに違和感の違和感
難病や終末期医療に詳しい国立病院機構新潟病院の中島孝院長の話 

事前指示書に関し、行政が旗振りするのは違和感がある。「患者のため」「命の尊厳のため」という言い方をするが、実際には医療費削減や家族の負担軽減のため、治らない患者の治療をしない、社会全体で延命させない流れを加速させかねない。
http://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20170424000013

事前指示書は強制ではない。書かなくてもいいし、書くときには主治医などに相談の上という説明もちゃんとある。とは言っても人の生き死にについて行政という権力機関が率先して書くよう促すのは横暴だ、ということだろうか。
中森氏は上の文の次に以下のように言っている。

患者から医師に一方通行の事前指示書を用いる前に、患者と医師がまず十分に話し合う事が必要で、対話で作りあげる事前ケア計画の導入の方がましだ。

この中村院長は、終末期になった自分の患者にある日いきなり事前指示書を提示され、「先生、私が死ぬ時はこれでお願いします」と言われた経験があるのだろうか。普段の診療時間の中で患者と医師が充分に話し合う時間をとっていればそんな極端なケースにならないと思うのだが、中村院長は自信がないのかもしれない。

そもそも、元気なときに自分の延命治療の姿をリアルに想像なんてできないのである。ピラミッドと水着美女の取り合わせや、モグラとかき氷の取り合わせや、ナイル川と援助交際の取り合わせがリアルに想像できないように。

逆に主治医にまったく相談無く、事前指示書を用意し、この通りにしてくださいという人がいたとする(めずらしいと思うが)。こんな人はすでに自分で検討を何度も繰り返し、答えをだした人だろう。覚悟を決めた人に対してこちらが余計なくちばしをはさむ必要はないと僕は考える。

やはり「備え」はしておいたほうがいい
京都市は広報活動の一貫としてリーフレットや事前指示書などを配布することにしたのだろう。遠い背景には医療費を抑えたい国の意向なんかも見え隠れするが、それは今回あまり問題ではない。早くから終末期の過ごし方を想像し、死後の財産の処分の仕方についても考えるいろんな要介護者とその家族をみてきた。彼らの姿とその顛末をみていると、やはり備えるべきだと思う。

批判を寄せている医療関係者、とくに大学の教授とか高いポストにいる達は、自分の専門領域を関係のない外部機関にとりあげられることにヒステリックに反応しているだけじゃないのか。そんなに既得権益をおかされたくないのだろうか?どう考えても理由がわからない。
まあ要はケツの穴がちいさいんだと思う。

日本で死ねるのはじゅうぶん尊厳死だ
話は変わるが、僕は日本に住んでいて病院にかかれる人は充分すぎるほど尊厳ある死に方をしていると思う。まず医療を(十分すぎるほどの医療を)受けられるという点でこれ以上の幸福はないではないか?
高度な知識をもった医者・看護師が診てくれ、家族も近くにいる。看取られながら死をむかえることもできる。近親者に看取られながら死ぬのは最高に幸せな死に方ではないか。

外国に目を向けると、社会保障が発達していない国、戦争している国、貧困の国、医療が不十分な国、そもそも医療・介護が受けられない人たちも多い。それどころか暴力的な死につねにされされている。戦争という圧倒的な暴力に傷つけられ、餓死し、凍死し、野獣に襲われて死ぬこともある、自然災害によっての死も多い。

世界を見渡すと、いろんな(お世辞にも幸せとは言えない)死に方が無数にある。尊厳のある死という概念をどのようにとるかはあくまでも相対的なものなのだ。日本で最先端の医療環境のなかで充分に長生きさせられ、そして死ぬことのどこが悪いのか?

答えは一つだけである。お金がかかるからだ。でも逆に言えば今までお金があるから無駄な延命治療がはびこっていたのである。だったら医療報酬を抑えれば無駄な延命治療が減少するはずである。こう考えると尊厳死やら事前指示やら老人の延命治療の問題なんて実に単純な問題だと思うんですけど。

え?そう単純じゃない?

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