100円寿司と子育ての関係

画像の店はイメージです

事に疲れたので子ども2人を連れ、ディスカウント寿司屋に行った。どこにでもある一皿100円のチェーン店である。大手チェーンではなく、あまり聞いたことがない名前の店だった。ここは回転寿司ではなく、自分の食べたいネタを注文したあと、寿司がレーンを通って席まで自動で運ばれくるタイプの店だった。ちなみに僕は回転寿司に行っても、乾燥したネタがのった寿司を食べるのが嫌で注文したものを食べる。だったら最初から「注文ありき」の店がいいんじゃないかと思ったのだ。

土曜日の夕方の寿司店にはいくもんじゃない
土曜日の夕方に行ったせいでお店はひどく混んでいた。待合い室には人があふれ(多くが家族連れである)、ベンチに座れない人はしかたなく立って待っている。座れない人のほうが多いくらいだ。店内の入り口にあるタッチパネル式の機械にチェックをいれると、整理番号が書かれた紙が印刷されるのでそれを受け取る。パネルにはご丁寧に待ち時間も映し出されている。それによるとあと60分かかる。やれやれ1時間も待つのか。子どもたちがぐずぐず言い出すのは目に見えている。

天井からは40型くらいの液晶テレビが吊り下ろしで設置されていて、画面には待ち番号がそっけなくうつしだされている。制服を着た若い女性が次々と待合にいる「客」に「大変ながらくお待たせいたしました。○○番号のお客様〜」とマイクでアナウンスしている。あんなに何度も同じことを繰り返ししゃべるのは疲れるだろうなと思うのだが、女性スタッフからは疲れた表情は見受けられない。大したものだと思う。僕なら3回も繰り返したら嫌になると思う。

店内を見回すと、他のディスカウント回転寿司店に比べて店員の数が少ない。店内にはスタッフが2人しかいない。ときどき3人目があらわれるが、給仕するとすぐにいなくなってしまう。まるで対人恐怖症をかかえた人みたいだ、と僕は思う。

店内はスタートレック号?
店内はホワイトを基調とした装いである。寿司が運ばれてくるレーンの周辺にカウンターとテーブル席が配置されている。これは他の寿司店と同様なのだが、やけに店内が基調カラーのホワイトが強調されているせいで、宇宙船の中の食堂にでもやってきた錯覚を持つ。一般乗客用に改造したスタートレック号に寿司専門の食堂スペースをつくったらこんなふうになるのかもしれない。三船敏郎がいたらそのままSF映画の撮影が始まりそうである。

そんなことを考えているうちに、はじめに提示された待ち時間よりも早く席に案内された。子どものぐずぐずが始まっていたのでホッと胸をなでおろす。

注文は席に設置されたタブレットを使う。こういうのもなんだか宇宙船の中みたいだ。といっても今の回転寿司チェーンはだいたいこんな感じである。いちいち店員を呼ばなくてすむのはいいが、注文した寿司が運ばれてくる度に「チャララン♫チャララン♫ご注文のお品が〜」というアナウンスが流れる。これが僕としてはとても神経にさわる。食べ物を食べる行為の最中にしょっちゅう電子音を聞かされるのは消化にとても悪い気がする。

まるで病院みたい
寿司の味はよくも悪くも100円寿司である。これにはとくに期待していない。子どもたちは美味しそうにバクバク食べている。僕はこんなものだろうな、と思う。でもなにかしっくりこないものがある。寿司の味というよりはもっと全体的な雰囲気の中に僕を落ち着かせないものがあるのだ。そういえば店に入ったときから何かそぐわない雰囲気を僕は感じていた。最初はそれが何かわからなかった。でもふと店の入り口の吊り下げられたテレビ画面に映った番号を見て(まだ待合には盛大に客が待っている)、それが何なのかがわかった。

ここはまるで病院みたいだ。

入り口のタッチパネルを押して番号が書かれた券を受取り、人の多い待合室でテレビに映った自分の番号を確認し、まだかまだかと待っているうちに女性スタッフに呼ばれる。店内の基調カラーはご丁寧にホワイト。待合の中に通されると(つまり席に座ると)、そこでコンピューターでオーダーを通す。

病院にそっくりなことがわかると、寿司から消毒液の匂いがしたような気がした。お店の名誉を守るために言っておくが、本当に消毒液くさかったわけではない。僕が主観的にそう感じただけだ。できるだけ少ない人数でまわすために人が担っていた業務を機械化し、どこまでもシステム化していくと、寿司屋であろうが病院であろうがどこも似てくるのかもしれない。

ワンオペレーターの家事&子育て
妻は早朝に出勤し、夜遅く帰宅する。また休みの日にも仕事にでかけることがままある。僕は現在ほぼ一人で家事と2人の子どもの面倒をみている。ときどき親に頼ることもあるけれど、日常的なレベルでは一人で業務(家事&子育て)をこなしていることになる。子どもの朝食の用意から夜寝かせるまでを一人で行っている。いわゆるワンオペレーター状態である。

寿司を食べながら、子育てを機械化、システム化したら楽になるだろうか?と考えた。しかしこれには前提条件が必要だ。僕が行った寿司屋では「客は寿司屋が用意したシステムに従う」、という前提条件がある。

システムに従わない、あるいはシステムそのものが理解できない客は寿司屋の客にはなれない。そこにはこれだけの価格で商品を提供しているのだから、スタッフが少なくて注文にタブレットを使って電子音がしょっちゅう鳴りひびく店内だったとしても理解してください、という暗黙の了解が店と客との間で交わされているのだ。

感性の交換
偏見と言われてもしょうがないが、ディスカウントの寿司屋には金銭と商品(あるいはサービス)の唯物的な交換はあるが、それ以上のものはないと感じる(それがわかった上で寿司を食べている)。

それ以上とは何か?それは感性だ。一皿100円のディスカウント寿司で今日のおすすめを真剣に語られたらうざいと思う。なぜなら相手の感情に応答する義務がでてくるからだ。そんなものを求めて人は(少なくとも僕は)ディスカウント寿司にはいかない。もっとつきつめて言うならば、感情の交換を必要としないから僕はディスカウント寿司に好んで行くのだ。

もちろん料金面の問題は大きいが、人が介在しないことによってそっちはそっちで勝手に、こちらはこちらで勝手にやるから、という希薄な繋がり方が成立する。回転寿司に行きたくなるのは僕がそんな気軽さを求めているからだろう。

子育てはめんどくさい
でも子育てはそっちとこっちが別々、では成り立たない。僕と子どもとの間で感性の交換が必要になる。この「交換」はとてもわずらわしい。交換した感性(感情)を自分の中に落とし込み、それをまた別のものにして相手に返す作業をえんえんと繰り返すことになるからだ。非常にわずらわしいけれど、これをしないと子育てとはいえない。ああ、めんどくさい。

「感性」の授受。これが機械にできるわけがないし、現在のコンピューターで計算できるわけもない。そもそも人間の感性を数値化できるかが疑問だし、仮に数値化できるとしても変動値が大きすぎて計算できないだろう。もちろんシステムの中に組み込めもしない。システムからはずれまくるのが子どもだからだ。はずれたものをそのたびいちいち手動で調整する必要がある。

だから当たり前だけど、子育ては機械化もできないしシステム化もできない。そもそも前提とされる条件を満たせないからだ。

老人介護のシステム化・機械化を国は推進している。ケアプランさえAIの活用が検討されている。同じく感性の授受が必要な介護をシステム化・機械化していくとどうなるか?そもそもそんなことができるのか?という話は長くなりそうなので次回に。

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