要介護者のアセスメントの書き方 その2

護施設の日常業務はほぼ次の3点に集約される。食事、排泄、入浴である。ハンバーガーでいうと、バンズ、ハンバーグ、ケチャップである。ハンバーガーには他にもタマネギやらピクルスやらレタスやらが入っていたりするが、先の3つの一つでも欠けるとハンバーガーとは呼べなくなる。「ハンバーガーに必要なのは3つである。バンズ、ハンバーグ、そしてケチャップだ」とリチャード・ニクソンも言っている。もちろん嘘である。

アセスメントの項目は5つで良い。そして食事、排泄、入浴にはかならず付随する行為(動作)があり、そこに生活する上での問題(解決すべき課題)を見出したなら、自分の見解とともに自由記述すべしとも書いた。残るはレクリエーションと医療の項目だ。

なぜレクリエーションと医療なのか?
食事、排泄、入浴は介護職にとって日常業務である。利用者にとっては日常生活だ。非日常には冠婚葬祭(結婚、葬式、お盆参り)や旅行、地域の祭りへの参加といった日常に彩りを与えるものがある(葬式は少し違うかもしれないが)。これをとりあえずポジティブと呼ぶ。また病気、事故、災害、犯罪といった日常に暗い影を落とすものもある。こちらはネガティブとしよう。僕たちはベースとなる日常(生活)と、ポジとネガの非日常を往還しながら暮らしている。

日常生活と非日常生活とを往還することで人は健全さを保てる。ベースとなるのは日常生活だからそちらのアセスメントの量は多いが、といって非日常生活の価値が下だということではない。

この点は要介護高齢者も変わらない。要介護者の暮らしについてアセスメントを行うのであれば、この非日常(ネガとポジ)についても目を向け、把握しておく必要がある。

医療=ネガティブな非日常
項目名として医療としたが、これは看護に置き換えたほうが実際的かもしれない。しかし看護も包括する概念として医療とした。リハビリもここにいれていいだろう。要介護者の病気とその治療内容、障害の状態や、とくに急性期〜回復期までのリハビリテーションの内容については重要だと思う。さらにその中でケア業務に関係するものを取り上げる。

治療が可能で、かつ生活にメリットがあるものはしっかりすくい上げる必要がある。例えば認知症といっても背景にはいろいろな原因がある。水頭症が原因の認知症の人がいた。その人は2年間のあいだ家族の顔も名前もわからないほどの重度の認知症だったが、水頭症の手術をした後、認知症は完全に治ってしまった。その2年間のことはほとんど覚えていない、と本人から聞いたことがある。

あとケア業務に直結しないものは省略する。僕たちの仕事は介護であって医療ではない。高齢者はよくこんなにたくさんの病気をしていて死なないな、と思うほどたくさんの病気を持っている。現在進行中で治療しているものもあれば、すでに治ったもの、治っていないが治療していないものもある。こういった既往歴をすべて書き込む必要はない。若い時の盲腸とか、生活に影響を与えていない根治したガンなど、把握していても損はないのだが、書き込めるスペースには限りがある。取捨選択が必要である。これはもう経験を積むしかない。

レク=ポジティブな非日常
レクリエーションは余暇活動と翻訳されることが多いが、ここでは余暇活動とは呼ばない。より原語の意味に近い再復権の意味で使う。レクリエーションを通過するこで、価値を再確認したり、新しい価値を獲得することが目的になる。

施設介護では要介護者の個性がどんどん見えなくなっていく。「いやいや、個別ケアをしているから個性がみえなくなることはない」と言われるかもしれない。それはワンフロア9人とか18人とかまでの施設しか経験がない介護職か、実際に介護の仕事に就いたことがない理想論者の言い分である。ワンフロア20人とか、もっと多くのベッド数がある施設もある。そこで我々は飽くこと無く毎日まいにち、マイニチ、mainichi、食事、排泄、入浴の介助をするのである。いや、訂正しよう。やっぱり飽きてくる。

利用者によって介助方法は違うし、個別対応もしている(そんなことは当たり前なのだけれど)。しかし、それ以上に施設の世界は圧倒的に狭い。建物内でほとんどが完結してしまう。物理的な狭さと関係性の狭さがどうしても課題になる。つまり固定された関係性になる。もうこれはそうなるものだ、という前提を持つしかない。確実にそうなるのだ。

ジョジョ風にいうと、「そうコーラを飲んだらゲップが出るっていうくらい確実じゃッ!」ということである(ジョジョを知らない人は何のこっちゃわかわないと思うけれど、説明は省きます)。

関係性が「介護する」→「される」だけに
そう、「介護する」→「介護される」という関係性Aが固定される。もちろんこのAがスタートなのだけれど、これがずっと固定されたままだと、介護職にとっても要介護者にとってもよい影響を与えない。だからこのよろしくない関係性であるAをときどき壊さなけれはいけない。そのためには非日常の力が必要になるのだ。

食事、排泄、入浴という日常(ノーマル)世界が形作ってきた関係性を崩すためには、非日常(アブノーマル)な関係性の世界が必要になる。秩序をやぶり、ひっかきまわすトリックスターの存在である。非日常の場面を作り、そこに双方が入る。底からすくってかき混ぜて新鮮な空気を入れてやる。そうしてAから少しずれたA’という関係性をいったん経験することが非常に重要なのだ。このAとA’をときどき行き来しなければ関係が腐ってくる。僕はそう確信している。

そしてその役割を果たすのがレクリエーションである。施設で行われる風船バレーボールやベンチサッカー、古今東西ビンゴや双六などはプチ非日常を作ってくれる。ゲームよりも大掛かりになるが、正月のお祝い、納涼祭、クリスマスの行事、遠足、旅行は立派な非日常である。正月は一年に1回しかないし、重度の要介護者が旅行に行けるのも(残念ながら)年に1回程度ではないだろうか。

パーキンソン病学会に報告できる事例
僕がかつて働いていた職場では朝夕2回レクをしていた。単純に業務時間に余裕があったからである。今から考えると1日2回もできたのはすごく恵まれていたと思う。そこで利用者のいろいろな顔を発見できた。

例えば90歳を超えた重度のパーキンソン病のじいちゃんがいた。手引歩行で1mを歩くのに1分以上かかるじいさまである。認知症もかなりすすんでいて、トイレに誘導すると便座に正面を向いて座ろうとする人だった。

ある日レクでストラックアウトをしたとき、そのじいちゃんは自分の足元に跳ね返ってきたボールを普段の100倍の速さの動きで手を伸ばしシュタッとキャッチした。誰も体をささえなかった。でもこけなかったんですね、これが。ボールをキャッチして何食わぬ顔をしていた。

僕は夢をみているんじゃないかと思ったくらいだ。いや、まじで。パーキンソン病学会に報告できるくらいの発見である。こんな不思議な経験を繰り返すうちに僕は心底レクは面白いなと思った。

いちばん身近な介護職がアセスメント
しかし普通は日常業務に追われ、なかなかレクまで手が回らないのが現状だと思う。しかし、レクをしない施設は腐ってくる。それは利用者を新しい目でみれなくなるからである。その利用者が何が好きだったか、いまでも得意なことはなにか、できることはないか。

入所段階でADLは詳しくアセスメントしていても、趣味までは詳しく聞き取っていないだろう。だから一番身近な介護職が普段の業務のあいまにアセスメントを続けることを推奨する。怠ること無くレクの仕込みができていれば、業務にちょっと時間ができたとき、利用者の新しい顔を発見できると思う。

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