主夫の常識は世間の非常識

ないだ3歳の娘と近所の公園に遊びに行ったら、60代くらいのおばちゃんが娘に声をかけてきた。

「お父さんが休みの日はお母さんを休ませてあげないとね〜」。

これだけだといまいち文脈が伝わらないかもしれない。解説します。

「ふだん家事と育児をしている奥さんのためにあなたが休日のときは子供を外に連れ出して、奥さんを家で(もしくは外出させて)ゆっくりさせてあげなさい。女は大変なんだから」。

たぶんこういうことなんだろう。少なくともこう言われているのだと僕は理解した。娘に話しているように見えて実は僕に言っているのだ。おばちゃんに悪意は感じられない。たぶん無意識なんだろう。3歳の子に「お父さんが休みの日はお母さんを休ませてあげないとね〜」なんていってもわかるはずがないのだ。僕は感じの良い微笑みを返し、何も言わずにおばちゃんの横を通り過ぎた。

専業主夫は隠れキリシタン
日本はわりと人口の多い国だから、絶対数でみれば家事、育児をメインに担当している夫は多いはずである。しかし、相対的にみれば妻のかわりに家事・育児をメインにする夫はやはりマイノリティなのだろう。それは書店に行けば分かる。育児関係の本を集めるコーナーには男性向けのものはほとんどない。あったとしてもカレーライスの福神漬けみたいな扱いである。書店は恐ろしいほど世のカルチャーの反映だから、男性が育児することは隠れキリシタンなみに世の中のメインストリームから離れたことなのだ。

けっきょくいまだに育児、家事、そして介護を担うのは女性の役割のまま固定されているということだ。男性もいるにはいるのだが、なかなか半々の割合まではいかない。この壁はなかなかに厚いと思う。

好きで幼稚園の説明会になんていくものか
先日幼稚園の説明会に言ってきた。来年の春から幼稚園に娘を入れるためである。プレイルームに30人くらいの親が集められ、説明を聞いた。あたりまえだけど、まわりはほぼ女性である。男性もちらほらいたのだが、ピンで参加していたのは僕だけだった。あくまで妻の付き添いという感じである。僕はシングルファーザーの気分である。

父親たちは子どもの面倒をよくみていた。母親は説明された内容を真剣にメモしている。僕が思うに父親は自分からすすんで来ているのだと思う。少なくとも嫌々きているわけではない印象を持った。でも僕はこう思う。

何が面白くて幼稚園の説明会になんか来ているんだろう。

僕はしかたなく来ているのだ。そこらへんを奇声をあげてちょろちょろ走り回るガキどもの中に誰が好き好んでいたいものか。幼児用の椅子に座っているから腰も痛くなる。自分の子どもは退屈して機嫌が悪くなる。それにひっぱられて自分の機嫌も悪くなる。好きでこんなとこにいるんじゃないんだよ、と言いたくなる。

いちおう説明を聞いておかないとあとで困ると思うからそこにいるだけである。説明だけならオンラインですませてほしいと思う。まあオンラインにはコミュンケーションをとる上で難点があるけれど。そんなだから他の父親をみて感心してしまった。よくやるよなあ、というふうに。彼らはあくまでオマケだから気楽にこれるのかもしれない。

スーパーに買い物にいったときもそうである。女性の年齢層にはあるていどのばらつきがあるのに対し、男性は非常に極端である。二十歳前後の大学生か65歳以上の男性しかいない。この間はすっぽりと抜けている。僕が買い物かごをもち、子どもを連れて店内をうろうろしていると50代のおばちゃんにじっと見られることがある。まるで珍獣をみるような視線である。ビッグフットのモノマネでもしてやろうかと思うけれど、もっと変な目で見られそうでやっていない。主夫の常識は世間の非常識なのだ。

超えられないのは性の差か、性格の差か
もしも男が出産できるようになれば、今の状況はかなり変化するはずだ。でもそれはいつの話になるかわからない。それに物理的な問題が解消し、男も子どもが産めるようになったとしても、僕は遠慮する。お産に2度立ち会って、2度とも陣痛から出産までの一部始終を見た。自分でアレを経験しようとは思えない。悪いけれど。

出産は女性にしかできない特権だという考えもあれば、女に押し付けられた枷という考えもある。僕は女性ではないのでどちらの考え方もよく分からない。

僕は人と話すこと自体が好きではないから、ママ友の輪にはいっていくこともできない。パパ友にいたっては望むべくもない。主夫は肩身がせまいのである。こんな思いをすることになるとは考えていなかった。なかなか世間は複雑にできている。僕はこのきびしい主夫生活を乗り切っていくことができるのだろうか?自信なくなってきたぜ。

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