0歳の赤ちゃんと要介護5の老人

人目の子どもが産まれた時、僕はバリバリの介護職だった。家の外ではジジババの食事、排泄、入浴の介助を行い、家の中では赤ちゃんの食事、排泄、入浴の世話をしていた。一方では人生の終わりを生きる人間をつぶさに観察し、また一方では人生の始まりを生きる人間を蜜に観察した。この双方の極の間の距離はすごく遠いように感じられた。ざっと80〜90年の距離がある。僕はその双極をいきおいがついたブランコのように行ったり来たりしていた。

でもそこには不思議と同じ風景もあった。0歳の赤ちゃんと要介護5の老人のケアの中に僕は同じものを見ていたのだ。

要介護老人と幼児のケアは似ている?
3歳の娘のケアの手間を介護認定の調査項目にかけ、コンピュータで判定した。結果は要介護2だった。育児負担度を要介護度に置き換えるなんて乱暴だと言われるかもしれない。でも娘の「要介護2」という結果は大きくはずしていないと思う。こんなことができるのは、要介護老人と幼児のケアに共通する部分がたくさんあるからだ。要介護老人が幼児と同じと言っているわけではない。総体として見ると両者は異なるが、個別に見れば似ているということだ。

要介護度は1〜5まであり、数字が大きくなるにつれ介護の手間が増える。要介護2は身の回りのことは不十分ながらも自分でできるが、その不十分な部分には介助を必要とする人だ。
ちなみに要介護1は身の回りのことはだいたいできるが、家事の一部には介助が必要。要介護3は生活の大部分に介助が必要で、一人暮らしは介護者がいないと困難である(注 比較しやすいように非常に単純化しております)。

中には両足がないため車椅子に乗っている要介護1の人もいるし、超健康体なのに要介護3の人もいる。病気の有無や障害の重症度は直接関係なく、要介護度は実際の介護にどれだけ手間(負担)がかかっているかで判定される。だから一見不思議な結果が出たりする。状態像には個人差が大きいのだ。しかし要介護5だけは特別である。

要介護5とはどんな状態か
誰がみても要介護5としか言いようがない状態。まず間違えない。それが要介護5。要介護3までは要介護者の状態像は千差万別である。しかし、5までくると状態像はほぼ固まる。まず第一条件として、ベッドから自力で起き上がれない。要介護4までは側臥位(横向き)の保持が自力で可能な人がいるが、要介護5はそれさえもできない。自分で寝返りもうてないし、もし何かの加減でうつぶせになったら、自力で仰向けに戻ることはできない。

もちろん食事、排泄、入浴すべて全介助。全介助とは本人ができる部分がまったくないということである。それじゃ本人にできることは何があるのか?飲み込んだり、排便反射を起こしたり、シャワーの時に目を閉じたりするくらいである。

まただいたいの人は意識障害(重度の認知症)がある。意識障害がまったくない人もいるが、そういう人は首から下が麻痺してぜんぜん動かせないとか、高度な医療管理が必要で管にまかれてベッドでまったく動けないような人である。

つまり自分の生命の存続を他者に完璧に依存している人々が要介護5である。僕は産まれたばかりの自分の子どもをみた。その子も他人に完璧に依存しないと生きられない命だった。

成長と老化の過程
普通の老人が要介護老人になっていく一般的な過程を記すと、次のようなコースになる。(1)〜(4)は重なりあっているが、あえて順番をつけるとこうなるということで。

(1)身体機能:年のため足腰が弱り、外出の機会が減る。そのため人間関係が希薄になり、外にでる機会が減少し、さらに足腰が弱る。あとはこの繰り返しで体が弱っていき、人間関係も限定される。

(2)認知機能:上の状態が長く続くと認知機能が低下する人がでてくる。認知機能の低下がない人も、世間ずれをおこして常識が通じない人になっていく。いわゆる「自分ルールの世界」で生きるようになる。

(3)家事機能:家事面ではまず掃除がしにくくなる。僅差で買い物。次に洗濯、調理の順で介助が必要になる。

(4)動作機能:そして生活動作。まず入浴が一人でできなくなる。次に排泄。最後に食事。食事はかなり最後まで自分でできる行為として残る。

僕には上の(1)〜(4)の流れ(人が老化にともなって手放していかざるをえないもの)は子どもの成長過程(成長にともなって獲得していく)の逆にみえる。僕の3歳の子どもはまだ調理も洗濯も一人でできないので、(4)にあてはめてみよう。

食事は2歳ころから自分で食べ始めた。3歳になると食べこぼしはあるが、摂取動作は自立した。次に排泄の自立がきた。うんこのあとの拭き取りは必要だが、便意を感じれば自分でトイレにいき、パンツをおろし便器に座って用をたす。排尿が先に自立する。
そして最後に残ったのが入浴だ。ここ最近になって浴槽の出入りが自分でできるようになったが、洗身はまだ一人で十分にできないし、入浴中ひとりにさせることはできない。見守りが必要だ。

もう少し見てみる。産まれたばかりの赤ちゃんは自分で寝返りができないが、そのうちに座位をとり、ハイハイができ、立ち上り、歩けるようになる。要介護老人はこの逆である。最後には寝返りができなくなる。

赤ちゃんは幼児にかけて言葉がじょじょに増えていくが、認知症老人はじょじょに言葉が減っていく。

赤ちゃんのときは親や親族だけの限られた人間関係だったのが、成長にともない世界が広がり人間関係が増えていく。要介護老人は介護度が進むほど限られた人間関係に収束していく。

こうして個別にみると、0歳の赤ちゃんと要介護5の老人には共通点があることがわかる。ざっくりみただけだが、老化とは成長の逆の過程をたどることと言っていい。

母性を発揮する場所
さらにいまでは人は産まれる前の状態にまで戻れる。母体内の胎児にまで。なぜなら胃ろうがあるからである。お腹につながれた管から栄養をもらい生きる。これはへその緒そのものだ。そして要介護者をとりまく環境は介護者が作っている。要介護5の人にとって、よい介護者が作る環境はまるで母の胎内である。温度や湿度が管理され、十分な栄養が送られ、優しい声をかけてもらえる(聞こえているのかどうか介護者自身にはわからないが)。

そう考えると、子どもをもつ前から僕には母性を発揮する場所がすでにあったのだ。

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