「介護と子育て」について書く前に

んちには。これを読んでいるときは夜かもしれないけど、とりあえず「こんにちは」と言っておきます。もし朝なら「おはよう」、夜なら「こんばんは」、いい天気なら「良いお日和ですね」、雨なら「洗濯物が乾きませんねぇ」と脳内変換してください。まあそんなことはどうでもいいか。

僕はいまこの文章を自宅の自分の部屋で一人で書いています。iTunesもYouTubeもニコニコ生放送もなし。僕の目の前に見えるのはキーボードとMacとディスプレイだけ。そうして一人静かにこの文章を書いています。これは最近の僕にとってはとても贅沢な時間です。なぜかって?

それは僕が専業主夫だからです。僕と同じ経験をもつ方はこのワンセンテンスで理解してくれるんじゃないかな。妻が働いて、僕が子供(3歳と8歳)の面倒をみて、家事をしています。これ以上の説明は必要ないでしょう。そう、なにも足さない。なにも引かない。

「誰にも邪魔されること無く一人でのんびりと好きなことをする時間」。専業主(夫)婦にとってこれ以上に欲しいものがあるでしょうか?たとえそれが数時間後には跡形もなく破壊されるとしても(いや、破壊されるから尊いのか)。

僕のことについて少し。
大阪で生まれ育ち、大学は兵庫県にある福祉大学に進みました。介護福祉士と社会福祉士と精神保健福祉士と介護支援専門員(俗に言うケアマネージャー)の資格を持っています。介護現場で10年以上働いてきました。その間に結婚して2人の子どもを持ちました。今までに引っ越しを4度して、今は京都に住んでいます(もう少し客観的事実が続きますが、読み飛ばしてもらってけっこうです。どうせあとで詳しく書くので)。

平成27年7月から妻が本格的に働き始め、僕は兼業主夫になりました。そしてちょうど一年後の平成28年7月に引っ越し。同時に仕事を辞めて完璧な専業主夫に。

飽きっぽい性格の僕としては長く続いた仕事(職場)でした。また慣れ親しんだ自宅を同時に消失したことは、想像していた以上のショックを僕に与えました。子どもも環境が変わったことに対してショックを受けていたけれど、僕のはそれ以上だった。ハイキング気分の山登りだと思っていたのが、実際はビバークが必要な雪山登山だった、みたいな。

いや、ちょっとニュアンスが違うな。

そうだそうだ、すごく下品なたとえになるけれど、右のきんたまと左のきんたまを両方失った感じです。もし食事中だったらごめんなさい。でもこのたとえが一番近い気がする。男性の僕としては。女性には理解できないたとえだと思いますが。

要するに経済的に社会とつながりを持っていれば、ここまで大きいショックを受けずにすんだだろうし、またすぐに立ち直れたと思うんです。でも僕はいま専業主夫で、子どもの面倒をみるために仕事に復帰できない状況にある(これも詳しくは後述)。

実はこの状況はなかば僕が望んだ状況です。いやいやこうなったわけではありません。そのうえでこんなことを言うのはアレなんだけれど、専業主夫はやっぱなかなか「きつい」ものがある。

なに言っているんだ、お前はこれまで主婦業をしてこなかったんだし、何より子どもを産んでもいないじゃないか。オンナは妊娠、出産、育児、家事をずっとしてきたんだぞ、と言われそうです。「くやしかったら産んでみろ」という声さえ聞こえてきそうです。でもすいません、産みたくても僕には無理です。

主婦業をしてくれていた妻には謝ったので、そこらへんで許してもらえたらと思います。すいません。

………あれ、何の話してたっけ?

閑話休題。
話を変えます。さて、老人介護と子育ては異なるけれど、共通するところは非常にたくさんあると僕は思います。それに在宅介護をしている家族の気持ちが実感としてトレースできたような気がする。
責任感、孤独、閉塞感、疎外感、抑うつ、焦り、逃げ場がない感、自分の本性をみた感。これらをぜんぶひっくるめて言うと、ケアに関わるストレスですね(もちろん介護や子育てはデメリットばかりじゃないんだけれども、まあそれでも、ね)。

僕は長年介護の仕事をしてきました。介護の仕事をしていなければ育児なんてできなかったと、たびたび感じています。介護と子育てには共通するものがある。なぜそう思ったのかをまとめれば、仕事にいかすことができるのではないか。それがこの文章を書く理由です。

そしてもう一つ。この文章を書くことで、つまり自分が置かれたこの「きつい」状況を客観的に捉え直すことで、僕はより良く再生しなくてはいけないということです。もう一度下品なたとえを持ち出すと(すいまんせん)、失ったきんたまを取り戻さなくてはいけない。まあいわゆるリハビリです。

さてさて、この文章は僕をどこに運んでいってくれるんだろう?

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