3人転落死事件 凡庸な悪か、非凡な悪か

「死を考えない最上の方法は、死を迎えようとしている人から物理的に遠ざかることである。」

(B・フリーダン「老いの泉」より)

ベティ・フリーダン

家族の存在感が希薄なSアミーユ事件
今年2月15日、殺人容疑でSアミーユ川崎幸町の元介護職員が逮捕された。Sアミーユの入居者3人の「不審な転落死事故」の報道がされたのが昨年の9月。僕は9月の報道からこの事件を追っていた。

本人が容疑を認めているし、状況から考えると容疑者が犯人だと思うしかないわけだが、僕は彼が事件を起こした動機や、個人的なパーソナリティーを検証する気はない。それは他の専門家の役割である。

彼がサイコパス的な要素を持つ人間だったのか、Sアミーユという企業が運営する施設体制に問題があったのか、あるいはその両方なのか。現段階では事件の全容を検証する材料が少なくて判断できない。しかし僕は一連の報道を追っているうちに、この事件の容疑者とナチス・ドイツ時代のアドルフ・アイヒマンを頭のなかで繋げてしまうようになった。

凡庸な悪か、非凡な悪か
アイヒマンはナチスの親衛隊長で、あのホロコーストにおいてユダヤ人を強制収容所へ移送する業務を総括していた人間である(詳しくはハンナ・アーレント著の「イエルサレムのアイヒマン 悪の陳腐さについての報告」を)。
 
アイヒマンの言動をみると、あの仕事はアイヒマンである必要はなかったと僕は思ってしまう。別の誰かであっても、アイヒマンと同等のレベルでその役割を遂行していただろうと考えてしまう。ハンナ・アーレントは人が個としての思考を放棄すれば、それまで社会教育で植えつけられた価値観などもろく崩れさり、人間が理性的な生き物だというア・プリオリな信心が失われていくさまをリアルに提示した。彼女はそのことを「悪の凡庸さ」と表現した。

根源的な悪を成したかに見えるアイヒマンを裁判で傍聴し続けたアーレントはこう思った。「なんて凡庸などこにでもいる人間なんだろう」、と。

Sアミーユ事件で逮捕された彼が行った(であろう)悪は凡庸なものだったのだろうか、それとも非凡なものだったのだろうか。それを判断するのはまだ早い。それよりも僕が問題にしたいのは、ほぼ誰も取り上げない施設ケアにおける家族の不在問題である。

容疑者やアミーユの内部体制についてはそれなりに取材され、報道もされている。しかし、入居させていた(現在もさせている)家族の声はまったく聞こえてこない。家族のプラバシーに配慮してか、そもそも今回の事件は家族など問題の外だと認識されているのか。

個としての思考を停止させた人々
ホロコーストとスケールは違うが、人のもつ残酷な性質をえぐりだしたのが、Sアミーユの一人夜勤の環境であると言えないだろうか。アイヒマンには人を殺せと命令する人間がいた。逮捕された容疑者には命令する人間はいなかっただろう。だが、思考停止した人間とそれを許した周りの環境という点においては似ている。

二件目の転落「事故」がおきたときに、これは普通ではないと判断する周囲の環境が必要だった。ましてや三件目の事件まで許してしまうという、ありえないことがありえてしまった。
 
人は老いや病いや死の話題を避けたい。誰かに、何かに「見ざる、言わざる、聞かざる」を委ねることができるのなら、そうしたいと考えるのが自然だ。そこで人の思考は停止する。家族が「介護のプロにおまかせします」という態度をとることを誰も批判しないが、その裏側には身内の老病死を受け止めることを忌避する心理が働いている。僕はケアマネージャーとして働いていて、年々こう感じる。まるで老病死が金銭を払えば、サービスとして解決できるもののような認識(誤解)が拡がっているように。

人間にとって最高に難しいこと
冒頭のフリーダンの文章には続きがある。「しかし、それを見据えることで恐れを克服することができれば、人はだれでも死ぬ運命にあるという事実を受け入れるようになる。」
 
彼女はなんだか簡単に書いているが、これは人間にとって「最高に難しいこと」である。山にこもって滝に打たれながら何年か修行して悟りでも開かないと、「死ぬ運命にあるという事実を受け入れる」なんて無理ではないか。介護職は人間にとって一番難しいことに立ち向かっているのだ。

だから僕は介護をしている家族に老病死に正面から向き合い、克服しろなんて言えない。言えるわけがない。言ったこともない。ただ、Sアミーユのような「ありえないことが本当にありえてしまった」ことに対する驚きを、もっと多くの場で多くの人に考えてもらいたい。介護施設がこのようなことを考える機会を家族に作ることは、今後の義務ではないか?自分たちの仕事の中身をしっかり家族に開いていく必要に迫られている。

僕だって正直、老病死のことなんて考えたくはない。コンビニの週刊誌売り場で好みのグラビアアイドルを物色したり(変態みたいだな)、次のiPhoneはどんなんやろか?といったことをネットサーフィンしたり(オタクみたいだ)、毒にも薬にもならないハリウッドのアクション映画をぽけ~と観ている方が100倍楽しい。

しかし、そんなことばかりもしていられない。将来的には自分の親の介護が自身にも降りかかってくるだろう。僕にとっても他人事ごとではない。そんな時、安心して預けられるまともな介護施設がすぐに見つけられる社会であってほしい。自分が介護家族の側になったときに、老病死について本音で語り合える介護職員と出会いたい。介護業界内にいる人間でありながら、それが「簡単に実現できない」今の状況が悔しいのだけれど。

コメント

  • アイヒマン、思い出しました。

    アイヒマン実験から、「感受性の欠如」と「権威への服従」が導き出された。この二つが思い出されます。おっしゃるとおり、ホロコーストとはスケールちがいますが、共通していますよね。



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